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 2月7日 3世代で熊野古道(三重県紀北町・馬越峠&天狗倉山)

 


馬越峠の石畳をゆく

どうやらこれまで九州ばあちゃん(=ともちゃんの母)と熊野古道・馬越峠は相性が悪かったようだ。最初にばあちゃんが馬越峠に行きたいってことで海山を目指したのは2004年の5月のこと。この日は生憎の大雨で馬越峠トレッキングを諦め、キャンプinn海山での水遊びに終始したのだ。そんでもって次の機会は同じく2004年の9月。この日も雨。そしてその翌日、海山大水害が起こってしまう。その後も彼女が三重に来る度に雨や体調不良で熊野古道トレッキングの夢は叶わず...これだけキャンセルが続くと、もうイヤになっちゃうか、或いは益々思いが募るか、のどちらかなんだけど、九州ばあちゃんの場合はどうやら後者のようで(笑)。
そんなわけで、今回で何度目?なチャレンジなわけだけど、今日はなんと晴れ!『私ひとりじゃなく、お父さんも一緒に行きなさいってことだったのかもねぇ...。』こういう考え方が娘とそっくりで笑ってしまう。
まだ薄暗い朝6時に起床し、トレッキングの装備6人分を積み込んだダッちゃんに乗って馬越を目指す。途中、コンビニでランチを買い込んで8:00道の駅・海山に到着し、それぞれがトレッキングシューズに履き替え、我が家からレンタルしたウェアを着込んでスタート。今日はじいちゃんも一緒ってことで、親子孫3代6人揃ってのトレッキングである。


親子孫6人で海山側からスタート

じいちゃんはダブルストックで

鷲下バス停そばの馬越峠の入口には今ではちゃんとした駐車場もあって、そこにクルマをデポする方が便利で早いけど、道の駅・海山をスタート地点に選んだのはトイレや休憩施設があることとが一つ目の理由。そして二つ目は僕らはともかく普段あまり山を歩くことがないじいちゃん&ばあちゃんにとっては、いきなり峠道に入るよりもここから峠道への入口までの300mの舗装された歩道を歩いた方が足への負担が小さいことを考えての選択だ(特にゴールの後、クールダウンをちゃんとすると翌日の筋肉痛が出にくいし)。


3世代お揃いの60/40パーカ(笑)

峠道の入口では、親子孫三代で色違いのSierra Design 60/40パーカを着ている姿がとても笑えたので(僕と同じぐらい背丈があってスマートなじいちゃん&ともちゃんのパンツがそのままジャストフィットで穿けちゃうばあちゃんってのはスゴイ!)全員で記念撮影を済ませ、いよいよ熊野古道へ。
足元にシダの絨毯を敷き詰めたような尾鷲檜の美林に入ると、ほどなく歴史ある石畳が姿を現す。鬱蒼と茂る木々が直射日光を遮ることもあって石畳は苔生している。僕らには見慣れた風景だけど、じいちゃん&ばあちゃんにとっては初めて目にする熊野古道の石畳ってことで、ふたりの歓声が林の中に響く。


尾鷲ヒノキの美林とシダの群生、
そして豪放かつ精緻な石畳が美しい

上:夜泣き地蔵にトレッキングの無事を祈る
下:時折休憩を入れながらのトレッキング

ここのところ雨が降っていないこともあって、古道の石畳はとても歩きやすく、僕らの心配をよそにじいちゃんたちはかなりのハイペースで石畳をぐいぐい登っていく。ただ、今日は両親にあまり無理をさせたくないので古道の見どころである道の駅海山から馬越峠をピストンする予定。あまりペースが早いとすぐに完歩してしまうってことで、時折立ち止まって、この一間半(2.7m)の道幅が紀州藩の駕篭に合わせて設定されていることや、海路が主流だったこの地方には道路はさほど重要視されず、戦前まではまさにこの道が県道として現役で使われていたことなど、熊野古道の素晴らしさとか歴史とかを僕のイイカゲンな知識で語る(インタプリターみたいだな)。


穏やかな日射しで気温10℃オーバーの紀州路

歩き始めて20分で入口から530m地点・夜泣き地蔵に到着。トレッキングの無事を祈った後、一枚岩の石橋を渡って尾鷲檜の美林とシダの群生を貫く豪放かつ精緻な石畳をさらに600mほど進むと、林道との交差点に到達する。ここで可愛らしいふたりの娘さんを連れた僕らと同年代の夫婦と言葉を交わし(何と、このサイトのゲストのご夫妻だった。後で知ったのだけど、楽しんでる僕らにお気遣いいただき、そのことを言わなかったのだそうだ...感謝!)、林道を渡ると勾配がなだらかになるのと同時に徐々に石畳は少なくなり、やがて普通の地道になる。さらに会話を楽しみながら500mほど歩くと左手に精密に積まれた石垣(かつての畑の跡)が現れ、馬越峠に到着(...してしまった)。


時折現れる巨木に耳を当てて
命の息吹を確認する子供達

上:峠でひと休みする若夫婦(爆笑)
下:抱きつかれて肩を竦めるAzuと逃げるMasa

さきほども書いたように、当初の計画では馬越峠だけを歩くはずだったんだけど、峠まで歩いた段階で最年長のじいちゃんがほとんど疲れが見えなかったし、ランチタイムには少し早すぎたので、馬越峠で10分ほど休憩してる間に相談して、そのまま天狗倉山のピークハントに予定変更することに。


天狗倉山を目指す(すぐに山頂の大岩が見える)

峠の茶屋跡から可涼園桃乙の句碑の脇を通って分かりやすい看板に従って、天狗倉山への登山道を進む。尾根道はこれまでの緩やかな熊野古道とは違って、400mの距離で200mの高度差を稼ぐそれなりに厳しい急登。左手は尾鷲檜の植林帯が続き、右手は明るく気持ちの良い広葉樹林帯。山腹の反射板でひと休みして尾鷲の町並と尾鷲湾の眺めを楽しんだ後は、ほとんど真直ぐに伸びる階段を一気に上り(登り?)、真直ぐに伸びる檜の木立の向こう正面に想像を絶する大岩が立ちはだかる。
ここからは大岩を左に巻くように岩や木の根を頼りにほとんどクライミングのような道を進み、登頂成功!防波堤のように山頂の小さな祠のある広場を取り囲む岩壁。その上に立つと断崖絶壁の向こうに尾鷲市街、日本一高い火力発電所の煙突、そして穏やかな表情を見せる尾鷲湾が見渡せる。

高所恐怖症のじいちゃん(...ってことは三代揃って高所恐怖症ってことか?)を麓に残して、5人で頼りなげな鉄ハシゴを使って大岩に登る。


山頂・大岩から望む銚子川と源流の大台ケ腹(降雪中)
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山頂から望む尾鷲市街と尾鷲湾
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下から見上げているよりはずっと広々とした大岩の上からはいつ来ても素晴らしい絶景!!まず目に入るのが銚子川の流れの先にそびえる大台山系で、山頂付近で降雪している様子が見て取れる。東に視線を移せばミニチュアのような尾鷲の町並みと鏡のように凪いだ青い尾鷲湾...安全な通行を優先して気象に左右されない山側に通された熊野古道には期待できない素晴らしい眺望をここでは存分に楽しむことができるのだ。


梯子を使って大岩に登るMasa

絶壁に立つMasa

しばらく大岩の上で眺めを楽しんだ後、祠のある狭い平坦な部分に戻ってランチタイムの開始。僕らにとっては『またかよっ!』って少し食傷気味のラーメン&おにぎりランチだけど、じいちゃんばあちゃんにとって、野山で食べる温かい食事はとても珍しいようで、めちゃ喜んでくれたのは予想外だった。ランチの後は天狗倉山の名の由来ともなった大岩の下にある岩屋(洞窟?)に入って遊ぶ。最初は子供達だけが入ってたけど、そのうちともちゃんも入ってワーキャー!オバサンが何やってるんだよって言おうと思ったら、ばあちゃんが岩の間から顔を出してワーキャー!(この母にしてこのばあちゃんあり...だな)


山頂にてラーメンランチ

大岩の下には通り抜けられる広い岩屋がある(左からMasa、Azu、ばあちゃん!)

みんながコーヒーを飲んで歓談している間に、僕とMasaは天狗倉山の本当のピークである電波塔方面へと探検に出かける。3連休中日ってことで天狗倉山はそれなりの賑わいだったけど、少し尾根を歩くだけで誰もいない自然を独占できるのが嬉しい。
リアルピークまでは尾根伝いに約200m。前回は大岩までで大満足してその先には進まなかったこともあって初めて歩くことになる尾根道は、山麓から眺めると一直線の平坦な印象だけど、実際の尾根は数mのアップダウンをくり返しながら伸びていて、しかもそこは今にもボルダリングを始めたくなるような大きな岩が点在する素晴らしいロックガーデン。


尾根伝いにオチョボ岩方面へ進むMasa

突き出た岩に立つ。山頂よりも素晴らしい眺め
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まるで僕らを楽しませるために配置されているような感じすらする岩の連続にMasaは目を爛々と輝かせ、垂直の大岩に張り付いてみたり、折り重なる岩の隙間のトンネルを抜けたり...スケールの大きな岩の芸術を堪能する僕らである。


ロックガーデンにはこんな巨石が折り重なっている

Masaによれば、電波塔の先800mには熊野灘の景色が素晴らしいオチョボ岩があるらしいけど、僕らが単独行動に出てすでに30分以上が経過し、そろそろ戻らないとともちゃんのカミナリがピカッ!ゴロゴロ!しそうなので、今日のところはピークまでの往復にとどめ、断崖絶壁に突き出た岩で写真の撮りっこをして戻ることにする。山頂に戻ると、案の定ともちゃんはおかんむり(涙)。何もしないでじっとしてると身体が冷え始めたみたいなので、すぐに荷物をまとめて下山を開始する。


大岩を時計廻りに巻いて下山開始

じいちゃん&ばあちゃんを指導するAzuリーダー

急な階段を慎重に下る

鞍部でひと休み

往路をそのまま戻るのではつまらないので、下山は山頂の大岩を時計回りに巻く新しいルートを選択。ここで活躍するのが“下りの王女”ことAzu。まっ先にルートを選んで後続を誘導する得意げな表情が可笑しい。Azuに続くのは“下りの女王”ともちゃんなので、その次をゆくばあちゃんは、さしずめ“下りの皇太后”ってところか?(笑)
もちろん活躍するのはAzuだけではなく、要所要所ではじいちゃんに足場の指示を出し、ポールを使うとかえって危ない場所ではちゃんとポールを預かる気配りを見せるMasaも頼もしい限りだ。


美しい石畳を下る3世代パーティ

そんな子供達の活躍もあって、僕らは無事、天狗倉山を下山。熊野古道に戻って、往路を辿って鷲下入口に向け緩やかな古道を下る。スタート前に心配したじいちゃんも、ここまで来ても足取りはとても軽やかで、Masaが長めにセッティングを変えてくれたLEKIのダブルポール(ストック)を上手く使いこなして時折先頭をハイペースで歩いて僕らを置き去りにしてしまうことすらあるほど。
『いやぁ、コレはいいのぅ!九州に帰ったらコレ買わにゃいけん。』
じいちゃん、やたらお気に入りのようである(笑)


今回、じいちゃんはダブルストックを絶賛。
膝への負担がかなり小さいらしい。

上:家長のじいちゃんが先頭
下:“アチョー!”“アホちゃうのん?”

西に傾いた陽光を背中に浴びつつ、お喋りを楽しみながらのんびりと散策を楽しんでいると、あっという間に一里塚を通過。夜泣き地蔵で休憩をして、そのまま“家長”を先頭に古道歩きを楽しんでいるうちに鷲下バス停前入口に到着。大きな馬越峠の看板の前で記念撮影をした後、身体のクールダウンを兼ねて道の駅まで戻る。
往復たった4.2kmという気軽な距離ではあったけど、念願の三世代で熊野古道トレッキングを無事終えることができた。



2/10(昨日)オープンした県立熊野古道センターに立ち寄ってみる

トレッキングを終えた僕らは、昨日オープンしたばかりの三重県立熊野古道センターを訪れることにする。オープン翌日ってことで大混雑を予想してたけど、駐車場にはまだ空きもあってすんなりデカいダッちゃんを停めることができたし、館内にもさほど人が多いわけでもなく拍子抜け。とりあえず箱モノを造ってしまう発想が実に20世紀的、昭和的だってことはともかく、総尾鷲ヒノキ造の特徴的な建物はとても面白いし、展示されている資料もなかなか楽しめる内容(Masaは職場体験学習で働いた三重県立博物館で手にした資料に再会出来たことが相当嬉しかったみたいだ。)で、熊野古道についてだけではなく、初めて熊野を訪れた人にとっては熊野そのものがどんな場所なのかを学ぶには打ってつけの場所だと思う。


非常に興味深い内容の展示が
盛り沢山で熱心に見入るMasa

上:熊野三山曼陀羅前にて
下:総尾鷲ヒノキ造の特徴的な建物も見所

それから僕の思い過ごしかもしれないけど、天狗倉山から眺めてて気付いたのは、津波の来る方向に尾根があるそれなりの高台というロケーション、ワンフロアの広い館内、必要以上に広い敷地などの特徴からして、この建物はもしかすると迫り来る東南海地震の際の避難場所として作られたんじゃないかってこと。そう考えると、実はこの建物は20世紀的な箱モノと斬り捨てることは出来ないのかも...。


県立熊野古道センターと尾鷲湾の向こうに聳える便石山(左)と天狗倉山(右)

熊野古道センターの後は、ダッちゃんに乗って会話を楽しみつつR42をドライブ。
海山お魚ランドでショッピングを楽しみ、魚哲でお刺身定食、大内山ミルクファームでソフトクリームを食べ、阿曽温泉につかり...もうこれでもか!のR42伊勢路をフルオプションで満喫し20:30に来宅したという次第。とにかく、ばあちゃんの長年の夢である熊野古道トレッキングを実現することが出来てメデタシめでたし!それにしても元・登山部のばあちゃんはともかく、標高差500mを一気に登り切ってしまうじいちゃんの健脚ぶりには恐れ入りましたです、はい。


お魚ランドのサンマ一夜干しとハイチーズ!

魚哲の海鮮丼

 

 


無事スタート地点に戻ることが出来ました。

 

 

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