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February.2006 part.2

 

 

  

 


石舞台古墳を望む丘にて

2月12日 厄除けポタリング(奈良・明日香村)

僕はただ今40歳。いわゆる厄年である。
厄年と言えば厄除け。三重県で厄除け寺と言えば、松阪の“岡寺さん”の名で親しまれている岡寺山継松寺。ただ岡寺さんの寺号は継松寺なわけで、本当の岡寺と言えば、奈良県明日香村「岡」にある岡寺(東光山龍蓋寺)なのだ。その名前からして、どっちがThe Originalかは明らか!ということで、今日は明日香村の岡寺さんへ厄除け祈願に行くことにする...なんて御託を並べるまでもなく、明日香村の方が面白そうってのが一番の理由だけど。


ザック1個と自転車1台

ただ、クルマで横付けするんじゃ“みんなと同じ”でご利益も低そうだし面白くない。
もう少し若ければ家から自転車に乗って国道165の青山峠越えで行きたいところだけど、御年42歳(数え年)のこの身体では相当な覚悟が必要(無理ってことはないだろうけど、Mamaに“イイ歳してやめなさい!”って言われた。)。

そこで42歳に相応しい方法をってことで、今日の僕は「輪行」スタイル。
輪行...則ち、折畳んだPEUGEOT Pacificを担いで電車に乗って近鉄吉野線・岡寺駅まで向かい、駅前で組立てて自分の足で岡寺参り、というわけだ。
ま、厄除けに家族でワイワイガヤガヤってのも変だし、我が家のメンバーはフラメンコや友達との約束やでスケジュールが合わないので当然ながらソロ活動である。

松阪の岡寺さんの場合は迷信妄信大好きな伊勢の民(爆笑)らしく、「一人で行くこと」「境内で身に着けているものをワザと落としてくること」「他人と会話を交わさないこと」「お参りの後、決して振り返らないこと」etc.あれこれと決まり事が多いけど、さて明日香の岡寺さんは???そういう意味でもヒジョーに楽しみな“隣国”大和への厄除け参りなのである。

たぶん雨は降らないだろうなぁと思いつつも万一に備えてチョイスしたpatagoniaの完全防水ザックを背にPEUGEOT Pacificを詰めたチビ輪行バッグを肩から提げて近鉄に乗り込む。窓から射し込む眩しい太陽を遮るためにカーテンを引いて、ザックから取り出した三度目の『君に読む物語』を楽しむ。日曜日のこの時間、上本町行特急はガラガラというか車輌に僕ひとり(笑)。iPodで音楽を聴きつつしばらく小説の世界に没頭していてふと窓の外を見ると、なんと外は白銀の世界。まさに青山トンネルを抜けるとそこは雪国だった、なのである。


岡寺駅でPacificをセットアップ

そう言えば今日ひだださんが青山高原のブナ原生林に行くってのを聞いていたので、携帯メールでコンディションをお知らせし、ま、奈良に着けばお天気も回復するだろうと呑気に小説の続きを読み続ける。ところが!大和八木駅が近づいても雪は止むどころかますます強く降りしきっている(涙)。この時点で大和八木スタートのプランは没。とりあえず橿原神宮前まで行っても、最寄り駅である吉野線・岡寺駅に着いても雪と氷雨が激しく降り続け天候は回復するどころか悪化するばかりだ。
家族連れなら、ちょっと躊躇うところだけど、今日は身軽なソロ活動。駅前でPacificを組立ててレインウェアを着込むと、かえって悪天候の方が楽しそうなワクワクした気分になるから不思議だ。(長靴履いたら思わず水たまりに飛び込んでしまう幼稚園児と同じ感覚かな?)


氷雨に濡れる亀石

まずは今日のメインイベントである厄除けのため岡寺を目指す。携帯を開きベルクロでハンドルに縛り付け、EZナビウォークを起動。すぐに液晶画面に雪が積もって見づらくなるけど、的確な音声ガイドが5m単位で僕を誘導してくれる。徒歩に特化したナビだけに、肩幅ほどの狭い路地もきちんと表示。クルマだと自動リルートが出来なくて不便に感じたけど、自転車のスピードなら音声ガイドだけでミスルートすることなく充分に機能するのが嬉しい。

ほどなく亀石に到着。亀石隣の売店のベンチに腰掛けて、朝にMamaがバキュームボトルに詰めてくれた熱いお茶を飲んで一服。ここからは去年の春に家族でポタリングを楽しんだ記憶があってナビは不要で、携帯をポケットに片付けてベージュ色に舗装された遊歩道を通って岡寺へ。

お天気のせいか季節柄なのか全くひと気のない雪の明日香路はクルマの往来もほとんどなく、雪花の舞う中を橘寺の門前から飛鳥川沿いに石舞台方面に向かい、観光会館で左折し、お稲荷さんの鳥居をくぐって岡寺の参道へと進む。
厄除け祈願に最適な初午の2日後だけに混雑を予想してたけど、クルマ1台がやっと通れるほどしか幅がない参道は猫一匹通らないほど閑散としている。“岡寺→”の看板がなければ道を間違えたと勘違いしてしまいそうなほどだ。

土産物屋街?が途切れた辺りからは自転車では登れない急坂になり、少し息を乱しながら坂を上り切ったところで岡寺の山門が姿を現す。
「厄」「除」「祈」「願」の真新しい看板が国指定重要文化財の格式を大いにスポイルしてて少し興醒めだけど、とにかくPacificを門前の柱に繋ぎ入山料を払って境内へと進む。

僕はこれまであまりこの“厄”について深く考えたことはなくて、当然ながら、その意味も何もワッカラナ〜イ状態だったけど、理不尽に災難や不幸がこの身に降りかかるのはイヤなので、一応は厄除けにここを訪れたわけなんだけど、ただ、闘うあるいは折り合いをつける、または仲良く暮らすには相手を良く知ることが必要なのは結婚と同じ(笑)。まずは昨夜無い頭を絞って「厄」とは何ぞや?ってところから予習をやってみた。


明日香村の街並み

厄を辞書で引くと、読み方は“ヤク”“アク”“ガ” の三種類。文字の成り立ちは、馬具の馘(くびき=馬車を引く馬にかける道具)の形に由来するらしく、「厂」と「卩」から成り立ち、「厂」は曲がった形、「卩」は人 がひざまづいた時のひざ頭を象形するらしい。文字本来の意味はそのものズバリ“くびき”の意味と、“節”つまり樹木のふしを表す。要するに「厄」という文字そのものに本来はネガティヴな意味などなく、あまりにも有名な般若心経で「苦」とセットになった「苦厄」という熟語になって初めて、苦しみとか災いとかの意味を持つようになったそうだ。つまり、中学生の時に辞書の「陰」とか「性」の一文字で激しく興奮したり「ビニールハウス」という言葉にクスッと笑っちゃったのと同じで(笑)熟語のイメージだけのことね。


西國7番霊場・岡寺に到着

目的は勿論コレ

ま、我がニッポンでは馬車を使う習慣があまりないので“くびき”というよりむしろ“木の節”がイメージに近いわけで、人生を木に例えると根っこから伸びた木が枝を繁らせる境目...長い人生には要所要所で節目があり、肉体的、社会的にも様々な変化による区切りがあるわけで、その節目、つまり変化のある年頃は調子が狂いやすいから、心構えが必要ですよっていう先人の教えなのだと思う。
...ってことは、厄は“除ける”ものでも“払う”ものでもなく、“受け入れるもの”じゃん。ま、大体、日本中の昭和40年生まれの男全員が一挙に不幸になるなんて、ちと乱暴で理不尽なオハナシだと思うし、アメリカ人やスペイン人が『ワシ、ヤクドシヤネン。』なんて厄除け参りに出かけたなんてのは聞いたことないわけで(笑)、気にせず放っておくのもモダーンでナイスなアイデアかもしれない。でも、先人の知恵ってのは時として意味がなさそうで実はとても大切なものを含んでいることを実感する場面が多いので、その意味を良く踏まえた上で“厄除け”に出かけることに決めたわけなのだ。(ま、この辺がインフルエンザになってもいないのに予防接種をしたり地球上に存在するタミフルの70%!もを消費するニッポン人の日本人たる所以だとは思うけど...笑)。


三重ノ塔

厄払いにしては楽しそう?(笑)

でも祈祷料¥4000也(*¥10000、¥6000、\4000の松竹梅設定。松は一ヶ月、竹は一週間、梅は3日間祈祷してもらえるらしい。)を納めて本堂に足を踏み入れ、ご本尊のお顔を拝見した瞬間、そう云った知識なんてぶっ飛んじゃう敬虔な気分になる。高さ4.6mのご本尊・如意輪観音菩薩塑像。奈良時代の作にして日本最大の土佛。もちろん重文指定で、寺に残る古文書によれば弘法大師(空海)がインド、中国、日本と三国の土を合わせて造ったという。他寺の仏像同様、元来は極彩色に彩色が施されていたらしい(唇に朱らしき痕跡がある)けれど、現在の真っ白なお姿は僕に“何か”を感じさせるに充分な迫力と優しさを合わせ持つ感じ。そんな観音さんの正面最前列に正座し僧侶の焚く護摩札の炎の熱を感じつつ、自分の名前が読み上げられるとちょっと快感にさえ感じる不思議な感覚を覚えるのだ。


参道の坂乃茶屋で昼食

坂乃茶屋定食

ちょっと感動の厄除け祈祷を受けた後、本堂前の喧騒を外れて境内を歩く。ひっそりとした雰囲気のお稲荷さん(鳥居に頭をぶつけて悶絶するほど小さな祠だ)、洞窟の奥に石仏がある彌勒堂、小さな三重宝塔を巡り、岡寺を出る。

山門を出て参道へ下ると門前に鄙びた雰囲気の茶屋がひっそりと建っているのが目に入る。看板には“坂乃茶屋”とある。ちょうど昼時なので入ってみることにする。ほとんど先客のいない座敷に上がると否応なしに目に入るのが壁と言わず天井と言わずびっしりと貼られた色紙。一つ一つに目を通すと、それは決して有名人のものではなく、ごく普通の客たちが思い思いに書いた色紙。


デザートはぜんざい

壁と天井を覆い尽くす色紙

山菜にゅうめん&わらびご飯の坂乃茶屋定食とぜんざいを戴いた後、茶店のお母さんに尋ねると、一枚書いてみます?と小ぶりの色紙とクレヨンを手渡される。字が下手な僕は“書く”より“描く”方が好きなので、たった5色しかないクレヨンで記憶を辿って岡寺の山門を描いてみる。出来が良いとか悪いとかはともかく、雪の舞う冬の昼下がりに茶店でぜんざいを食べながら絵を描く時間...とても贅沢な気がした。
僕の隣にいた我が家より少し若い家族連れが店を出た後、他にお客さんもいなかったので、茶店のお母さんと少し話す。ひと言ふた言言葉を交わした時、『お客さん、三重県の○○市のお人でっしゃろ?』とお母さん。へ?どーして?ズバリ正解だし。


坂乃茶屋のお母さんと

『何とはなしにお国の訛がな...』訊けば、お母さんは僕と同郷、しかも高校の先輩(*旧制女学校だけど)であることが判り、何だか嬉しくなってしまった。『これ、ほんの少しやけど奥さんや子供しにあげて下さいな。』(*子供し=子供さん)お土産までいただき、手を振って見送ってくれるお母さんに目礼をして僕は坂乃茶屋を後にする。

今日の目的を果たした僕は気の向くまま、特に目的地を決めずに明日香村の路地をポタポタとポタリング。気が付けば石舞台古墳のすぐそばまで来ていたので、石舞台の奥にある丘に登って設えられたベンチに腰掛けて一休み。


石舞台古墳へ

古墳を望む丘にて

少し肌寒いけど、雪も止み風も収まったので、ザックから『君に読む物語』の続きを読む。飛鳥時代の遺構を前にアメリカ南部の恋...ちょっとイメージちゃうなぁと思いつつ(笑)1時間ほど読んで、さて次はどこ行こう?この前来た時、飛鳥寺の大仏さんのお顔を拝んでなかったことを思い出し、飛鳥寺へ。本堂に入り、日本最古の大仏さんを仰ぎ見て、どうもお顔とお身体のバランスがおかしいなぁ、などと思いつつ山内を観覧し、門前の店で古代のチーズ“蘇”を買って、またPacificでブラブラ。


我が国最古の寺院・飛鳥寺

これまた最古の大仏さま

蘇我入鹿首塚の脇を通り、畑の間を抜けると正面に甘樫丘。
先日の発掘で蘇我氏の大邸宅跡が見つかったという大ニュースがアナウンスされたばかりの甘樫丘の麓には万葉の道という看板があり、Pacificを引いて展望台のある標高148mの山頂に向け誰もいない遊歩道を歩くことにする。遊歩道は緩やかなスロープになっていてPacificを漕いで上れないことはなかったけど、入口の諸車進入禁止という看板に従うことにする。


甘樫丘(148m)・万葉の植物園へ

展望台から望む大和盆地

15分ほど歩くと展望台に到着。北側には大和三山や生駒山&三輪山が、南には明日香村の田園風景が広がる絶好のビューポイントだ。ここ甘樫丘は厚い雲に覆われて薄暗いけれど、耳成山付近から北は雲が切れて暖色系に輝いていて、ゆっくりとしたスピードで光の帯がこちらに近づいてくるのが見える。その光景があまりに美しくてずっと眺めていたかったけど、山頂だけに風が強くかなり寒かったのでそのまま甘樫丘の反対側へ下る。


左から畝傍山、耳成山、天香久山(22mmワイド×3枚合成)  CLICKで大きな画像が開きます


明日香村を望む(22mmワイド×2枚合成) CLICKで大きな画像が開きます

展望台から少し下った場所にピクニックテーブルが置かれているちょっとした広場があり、ちょうどそこで頭上の雲が途切れ、西に傾いた太陽から暖かな光が射し込む。するとそれまで鉛色だった目の前の空気が一気に淡いオレンジ色に変わり、万葉の道の両側の森にたっぷりと積もった落ち葉が暖かな色合いで僕をオイデオイデ(笑)。思わず歩みを止め、ピクニックテーブルに腰掛ける僕。太陽から届く暖かで優しい光を浴びる心地よさを感じながら、少し冷めたけどまだ湯気を立てるお茶を飲んで、しばし幸せな気持ちを味わうのだった。


甘樫丘にもようやく日射しが

PEUGEOT Pacific 16

そんな時、ひとりの6〜70代のオジサンが山麓から登ってくる。挨拶を交わし、僕の隣に腰掛けて休憩することを勧め、しばらく談笑。僕もひとり、彼もひとり、ソロ同士だからこそ起きる出会い...万葉の森の陽だまりで山歩きの話題で盛り上がった後、彼と別れ、甘樫丘から近鉄・橿原神宮前駅へ戻ることにする。もちろん帰りもEZナビウォークを起動。15分ほど掛けて橿原神宮前東口まで走り、駅前でちび輪行バッグを開いて折り畳んだPacificを収納、ちょうどやってきた特急に乗って帰宅した次第。


EZナビウォークはポタリングに有効だ

橿原神宮前駅がゴール

前半はレインウェアを脱げない天候だったけど、家族連れだったら、坂乃茶屋で色紙にのんびりお絵描きしたり、iPodを聴きながら石舞台のベンチに腰掛けて読書する時間なんて絶対ありえないわけで、ソロならではの自由な時間、ひとりだからこその見知らぬ人達との触れ合い...とても有意義な休日を過ごすことが出来たように思う。
ごく狭い範囲をポタポタやってたのに、結局サイクルコンピュータの距離計は35kmまで伸びたのには正直驚き!でも、休み休みだけに全く疲れもなく、時間が許せば東青山駅で列車を降りて伊勢湾までの“分水嶺ダウンヒル”を楽しもうかな?なんて思ったぐらいに元気なまま帰宅。夜には、同じくソロ活動で“雪の青山高原ブナ原生林〜MTBで徘徊ツアー(笑)”を終えて戻ったばかりのひだださんが遊びに来てくれて、明日香土産の“蘇”を食べながら遅くまで盛り上がったのだった。


実はひとり旅ってのは他人との関わりが濃密になる。
気軽に声を掛けてこうしてシャッターを押してもらえる
機会が多いのもソロ活動の醍醐味なのかもしれないな。

 

 

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