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  11月3-5日 鳥取キャラバン(大山&三徳山登山)

  


歴史を物語る参道の石段。まるで日本海の波のようだ。

11/5 三徳山登山

昨日もリベンジなら今日もリベンジ。去年11月の鳥取キャラバンの際、生憎の悪天候で本堂まで辿り着きながら、その先は入山禁止の憂き目に遭った三徳山に再挑戦なのである
僕が三徳山を知ったのは随分前(たぶん高校生か大学生の頃)のこと。図書館で見たリアリズムの巨匠・土門拳氏(*実は僕がかつて一番憧れていた写真家でもある)の写真集で国宝・投入堂への登攀記を読んで、日本中の古寺を巡り多くの素晴らしい建築を目にしたであろう彼が“私は日本第一の建築は?と問われたら、三仏寺投入堂をあげるに躊躇しないであろう。”と述べているのを目にして以来のことである。
加えて、西暦706年、葛城山出身の役の行者が“仏縁のある場所に落ちよ!”と念じながら三枚の蓮の花びらを散らし、その三枚の一枚は吉野に、もう一枚は石鎚山に、そして最後の一枚がここ三徳山に落ちた*1...そんな伝説を吉野について調べている最中に偶然知ってしまってからは、どうしても行きたくなるのが我が家(笑)。そんなわけで去年のリベンジを果たすべく、今年もやってきてしまったという次第である。

*1原文
爾時三莖蓮華 一莖落伊輿國石辻 千光佛浄土 一莖落大和國彌勒長 大光佛浄土 一莖落伯耆國三徳山 無量光佛浄土以知三所機縁深慮 佛法霊験之勝地也 by 金峯山創草記〜吉野/金峯山〜


右端のMasaのが極端にデカい

出来たての歩道を一番乗りで歩く

ただ、ここは大峯や石鎚と同じくホンモノの行場ってことで、国宝・投入堂までの行程は危険な岩場の連続。そんなことからここのキャッチコピーは『日本一危険な国宝鑑賞』(笑)。実はこのコピーもあながちウソではなく、ほんの10日前の10/26にも男性が転落し首の骨を折って防災ヘリで搬送されたものの死亡したばかり。普通の観光地とは違って、ここは険しいからこそ価値がある行場だけに抜本的な安全対策を採ることも難しく、コンディションによって(雪が降ったらダメなのはもちろん、前日に少し雨が降っただけでも×)入山禁止にする以外に対策を打つことが出来ないのである。


三徳山三佛寺寺標前にて

輪光院前で108つの煩悩を落とすAzu

前回は直前まで雨が降ってたことで入山禁止で涙を飲んだけど、今日はここのところの晴天続きなので、入山禁止はないだろうということで昨夜から三徳山駐車場入りして準備万端。朝一番に身支度を整え、お寺の参拝には似つかわしくないトレッキングシューズで足元を固めて三徳山三佛寺へと向かう。
去年は駐車場からの道路はいかにも鄙びた山里!ってな雰囲気の1.5車線の細い道だったけど、今年は道幅も広がって立派な真新しい歩道が出来ていて驚く。きっと三徳山の価値が理解されて観光客がさらに増えたんだろうなと感じる。


三佛寺本堂

参道入口からは踊り場のない急な石段を経て参拝受付所へ。ここで入山料を払って入山の諸注意をレクチャーされた後、参道の両脇に建つ皆成院、正善院、輪光院の三坊を巡りながら、最後に歴史を物語るようにすり減って波のようにうねる石段を上がって本堂へと至る。まずは本堂に参拝し、今日一緒に投入堂まで登っていただくカズオミンさんとの待ち合わせまで1時間以上あるので、一段下にある宝物殿で投入堂の本尊である蔵王権現立像を始めとする三徳山三佛寺の寺宝を拝観する。


手続き&靴裏チェックを経て巨木の立つ参道へ

たすきを掛けるのがここのルール

宝物殿内には明治の修理の際に取り換えられた投入堂の脚の古材が何気な〜く置かれていて、よく観察すると意外に細く、また四方の角を大きく面取りした8角形の断面であることが判る。これは後ほど目にすることになる投入堂でその優美さを演出するための工夫であることが判るんだけども、とにかくここ三徳山の長い歴史を垣間見ることが出来る。


朱塗りの宿入橋を渡って奥の院へ

 

再び山内を散策し、参拝受付案内所でカズオミンさんちと合流した僕らは、本堂裏の登山事務所で入山届に記入し、「六魂清浄」と墨書されているたすきを受け取り、安全のために靴裏チェックに臨む。9分山のビブラムソ−ルを見せようとしたら、登山靴はチェック免除。何だか日本国の赤いパスポートの表紙を見せただけで“顔パス”になるヨーロッパの国境を思い出して苦笑しながら(笑)、注連掛杉の巨木を横目に登山入口の門をくぐる。
山深い三徳山から湧き出る渓流に架かる「宿入橋」を渡るといよいよ行場の始まり。


いきなり10日前に死者が出たカズラ坂へ

お〜い、Azuぅ〜大丈夫かぁ〜!

「十一面観音堂(別名野際稲荷)」のお堂を過ぎると、先日死亡事故が発生した最初の難所「カズラ坂」へと進む。カズラ坂は、かなりの急斜面ながら地面には複雑にからみ合った木の根が這っていて、そのぶん手足のホールド&スタンスが確保できて非常に登りやすい。


寺務所で貸与されたたすきには「六魂清浄」と墨書されている。
“ロッコンショージョー”は“ドッコイショ〜”の語源とも言われている。


行者姿が目立つ文殊堂への急登。ひたすら
“ロッコン、ショージョー”を唱えながら進む

上:三点確保が必要な岩場
下:行者に続いて岩に張り付く

無事カズラ坂を越え、何となく凛とした空気の漂う広葉樹林をしばらく進むと、後方から法螺貝の音とともに『ロッコッンショ〜ジョ〜!』の掛け声(“ロッコンショ〜ジョ〜”は漢字で書くと六魂清浄。意味は「目耳鼻舌身心の6つの感覚を清め煩悩に打ち勝って本物を見極めましょう。」という意味)が林間にこだまし、白装束の行者の団体が上がってくる。基本的に行場では立場や身分による優先権はないけれど、やはりホンモノ(?)には道を譲るのがマナーなので参道の脇に避けて追い越していただく。そんな僕らを次に待ち受けている難所は「クサリ坂」だ。


ハイライトのクサリ坂で鎖を使わずフリークライムするAzu&Mama

クサリ坂は、投入堂までの険しい参道にあるに3つの重要文化財指定の建物の一番下にあたる文殊堂の手前にあり、文殊堂の土台になる大きな岩塊の上からお堂の脇に垂れている鎖を支えに登るルートで、“坂”というよりも“壁”って感じ。ただ、高度差10mほどと低い上に斜度も垂直というほどでもなく、取り付く岩の凸凹がとても素直なので、正直なところ恐怖感はゼロ。その証拠にMasaはもちろんAzuやMamaまでが鎖を使わずに笑顔でフリークライミング(笑)。今年に入ってから木曽駒ヶ岳・宝剣岳や石鎚山などの鎖場を踏破した成果なのかなぁと苦笑してしまう。


Azuの巧みなルートファインディング

岩の上から嬉しそうに見下ろす父と息子

クサリ坂を登りきると、坂の上に文殊堂が姿を現す。標高440mに建つ文殊堂は、崖の縁に京都・清水寺同様の舞台造で建てられ、その先に地蔵堂や投入堂の存在がなければ充分に山寺として興味をそそるのだろうけど、一番低い位置に建つことで地味な印象があって立ち寄る人は少ない。お堂の周囲には眺望抜群の回廊があり、靴を脱いで上がって一周できるようになっているんだけど、手すりが一切ない上にそうでなくても滑りやすいのに雨仕舞いのためか床面が斜めになっていることもあって恐怖感抜群!クサリ坂を手を使わずに登ったMasaもかなりビビっている様子だった。


高所恐怖症のために腰が引けてる僕(涙)

手摺のない縁を一周するのはかなり怖い


別ルートを開拓するMasa

文殊堂を見学してさらにラクダのコブにも似た岩を越えるちょっとした難所「平岩」をクリアすると文殊堂によく似た姿の地蔵堂が姿を現す。地蔵堂は、文殊堂と同じく岩尾根の縁に建っていて、こちらも周囲は、回廊として1周でき、眺望に優れた場所である。


馬ノ背は思いのほか、難しくない

 

現在修理中の 鐘楼堂の不似合いなほど大きな釣り鐘(約3t)の大きさと、ここまで運んだ先人の苦労を思いやりながら、難所とは言えない「牛の背」「馬の背」を平均台を渡る要領で通過。岩のくぼみにひっそりと建てられた納経堂(これも重文)、観音堂、元結掛堂(もとゆいかけどう)次々と現れ、不動堂の建つ大きな岩を巻くように進むと、目の前に国宝・投入堂(なげいれどう)がその姿を現す。


岩窟の中に建つ観音堂

元結掛堂をを過ぎると...

投入堂は役の行者が剛力で山麓から投げ入れたという伝説にその名の由来を持つお堂で、オーバーハングした断崖絶壁の岩窟に、見事なバランスで存在している。その建物はこれまで見た文殊堂や地蔵堂にように水平方向に梁のない細く不均一な長さの柱に支えられて建つ、まさに投入されたというより吊るされたようにも浮かんでいるようにも見える実に特異な建物。


断崖絶壁の岩窟に建つ国宝・投入堂

(そんな印象を受けた瞬間、さきほど宝物殿で気付いた古材の柱が八角になっていた謎が解ける。要するにこの建物を作った棟梁は面取りを大きくすることで柱を限りなく細く見せることで投入堂があたかも浮かんでいるように見える演出を施したのではないか?あくまでもMasaの仮説だけど、実は僕も強度をそのままに垂直方向に立つ柱の存在感を小さくする目的で実際は四角よりも少し断面積の大きな八角形や円柱に換える手法をよく使う。影の関係でこの方が断然細く見えるのだ。)


投入堂前は急傾斜の崖で全員
揃っての記念写真も一苦労

上:不動堂に向かって崖を登るAzuとMasa
下:観音堂前でカズオミンさんと

よく見ればとても簡素な造りでありながら、その簡素さと建築に掛ける古の人々の情熱がひしひしと伝わってきて、岩崖に整然と佇むその姿は、繊細でシンプルなとても日本的な美しさを感じる。また美しさとは別に文化財としても第一級のもので、先日見た唐招提寺のTV番組でも登場した奈良文化財研究所埋蔵文化財センターの光谷氏による「年輪年代法」(年輪の幅の法則性を用いて年代を判定する方法)で、投入堂(なげいれどう)に使用されている木材の伐採年代が平安時代後期のものと判明。これでこの投入堂が日本最古の神社本殿形式の建築であることが明かになったのだそうである。奈良でも飛鳥でも京都でもないここ鳥取の山里がかつてこのような古い歴史の舞台になっていたことがとても痛快に思えるし、中国地方の歴史の深さ、文化レベルの高さを証明していると感じる。


地蔵堂の縁に腰掛けてピース!のMama&Azu

一番眺めの良い地蔵堂〜文殊堂間の岩

 


文殊堂の縁に立って微笑むMasa

ま、ウンチクはともかく(笑)、かなり急な岩崖を登って不動堂に近付いて記念写真を撮った僕らは、参拝客でごった返す投入堂に別れを告げて山麓に向けて下山開始。往路では立ち寄らなかった地蔵堂に上がらせていただいて景色を眺めたり、クサリ坂で別ルートのフリークライミングを楽しんだりしながら下る。三徳山での死亡事故は全て下りで起きているという予備知識もあって、スピーディながら慎重さが求められるけど、なんとかひとりの転落者も出さずにカズオミン家のヒロちゃんとMamaが待つ本堂前に無事戻ることが出来た。


カズラ坂を嬉しそうに下るAzu。
危険な場所だ〜いすき!(笑)

上:Masaの登山スピードは驚異的
下:山を降りてヒロちゃん&Mamaと合流

本堂前で親父に手向ける線香と登山記念のピンバッヂを購入したあと、カズオミンさんの計らいで、彼の親しい友人でもある輪光院の客殿に上がらせていただき、予約してある精進料理を頂く。境内の美しいお庭を眺めつつ頂く精進料理は精進料理という言葉から受ける印象を根底から覆す美味しさ。一流のおフランス料理に勝るとも劣らない美しさと美味しさを兼ね備え(...断言!)、しかも食後の充実感はあるのに、あくまでもお腹は爽やかという素晴らしいものだった。しかもトイレに立った時に短い間ではあったけど三佛寺のご住職に興味深いお話を色々と聞かせていただいたし、実に有意義な一日を過ごすことができた。


庭園のように美しい水場にて


無事に奥院参拝を終えてホッと一息

あ〜ちゃん、あ〜ちゃんとAzuに懐いてくれるヒロちゃんとの別れは少し辛かったけど、3連休最終日ということで、大阪手前の大渋滞を回避するためには鳥取で過ごせる残り時間はもうわずか。三徳山の駐車場でカズオミン家とお別れし、慌ただしく帰路に着く。


石段を降りて...

輪光院で..

精進料理をいただく

名湯・湯原温泉「油屋」前にて

ただ温泉マニアなMasaはこのまま帰ることを許してくれるはずもなく米子道に入る手前にある名湯・湯原温泉に立ち寄り、少しのんびりしてからMamaと半分づつ運転を交代しながら自宅を目指す。いつものように中国道では宝塚手前で自然渋滞に遭遇したし、摂津北の事故渋滞中でETCゲートの中で一時間微動だにせず!という体験もしたけど。今回は初めてダッちゃんシアターの地デジチューナーでクリアなTV番組を楽しむことが出来て、家族みんながさほど不愉快な思いもせず、23:00にゴキゲンで帰宅できた。

 


三佛寺参道で花々に囲まれてひっそりとたたずむお地蔵さん

 

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