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FLAME LAYOUT

 

 

 

 

 

 

 

November.2005 part.1

 

 

 

 

 


白樺の森を抜けて美ヶ原へ

11月12-13日 信州りんご狩り&八島ケ原湿原トレック(蓼科)

『ワタシねぇ、サンタさんにお願いするクリスマスプレゼントもう決まっちゃった。』
土曜の昼過ぎ。例によってMasaとMamaが不在なので、残された僕とAzuはふたりで近所のスーパーへお買い物。フードコートで軽くブランチを食べながらのひとコマ。
『あのね、ダッちゃんに載せられる小さなテレビが欲しいの』
いつもお出掛けばかりで土曜のTVは観られないことが多いけど、ここ3週間連続で家で過ごしたことで秋のTVドラマにすっかりハマってしまったAzu。土曜9時の『野ブタ。をプロデュース』が観たくて観たくてしょうがないわけ(笑)。でも、今日は久々にお泊りでお出掛け。Uおじさまと現地集合で3年前から毎年買い求めてるりんご農園(Uおじさまの奥様ヨーコちゃんの友達の実家でもある。他のりんごはもう食べられないほど美味しすぎ!)を訪ねてりんご狩りを楽しもうという計画である。それ以外は全くもって予定は未定だけど、いつでもどこでも眠れるダッちゃんがあればダイジョーブ!そんなわけで、僕らは晩秋...っていうか初冬の信州を目指すのである。

Masaのクラブが長引いて、家を出発できたのは14:00を少し回ってしまった頃。途中OUTBACKのキャリアバーの加工をお願いするために、2週連続でマジコ家にお邪魔し、(Magic-o-carrier Ver.3がついに完成!Ver.1のT-barを差し込むためのソケットも出来上がっていて、いよいよOUTBACKもカヌー3艇積みが可能となった。)しばらくお喋りを楽しんだ後、マジコ家に別れを告げ中央道を北上する。
諏訪湖の夜景を左手に眺めつつ、諏訪ICから大門街道をさらに北上、ビーナスラインへの道すがら途中のレストランで家族4人全員で旨いステーキを堪能して、白樺湖〜大門峠を抜けて道の駅『マルメロの駅・ながと』に到着。すでにP泊のクルマが何台かあって比較的混雑してるけれど、温泉とLAWSONがあるのが好印象(笑)で、今日の宿をここに決める。

まずはダッちゃんのカーゴルームから“温泉セット”を取り出して、道の駅併設の温泉を楽しむ。温泉から出て、ふと休憩室に入ると、映画館のような大画面プロジェクションTVでなんと!『野ブタ。をプロデュース』を上映中(笑)。ビールを飲みながら当然ながら最後まで観て、駐車場のダッちゃんに戻り、ベッドを展開してオヤスミなさいモード。晴れ渡った澄んだ夜空はお月様とオリオン座がキレイ!でもそのぶん放射冷却が凄まじく、外に放置したPRO-TREKによれば、22:00現在の気温は2℃。ナビシートでiBooKを開いてYahoo!ウェザーを確認すると明日朝の最低気温予想はマイナス3℃!窓のスクリーンを完全に閉じて、マミーシュラフのコードを絞って眠る僕らだ。

マルメロの駅から美ヶ原へ

道の駅“マルメロ”のある長門町改メ長和町は広い信州の中でも晴天率が高く、おまけに気温が低いらしい。今朝の寒さは秋を通り越して、完全に冬...FFヒーターがないダッちゃん&mont-bellの6番では、さすがに寒さで目が覚めるのです(涙)。窓のシェードを少しだけ上げて外を覗くと、少しだけ明るくなった空を背景に『只今の気温-2℃』の電光表示...そんなわけで、5:45起床。ダッちゃんのベッドで準備した朝食を食べることにする。


『マルメロの駅・ながと』の最低気温はマイナス2℃

道の駅の植栽も霜の縁取り

一緒にりんご狩りをするUおじさまとの待ち合わせは10:00...まだ4時間近くある。早起きだし天気も良いし、こりゃ高原を散歩するしかあるまいっ!ってことで、ダッちゃんで美ヶ原へ向かう。長和町から武石町に入り雪を冠った武石峰を正面に眺めつつ巣栗渓谷沿いに進む。快適な高原道路の両側には牧場、そしてその背後には燃えるような朱色がかった赤一色の紅葉!朝日を浴びてひときわ赤が際立っている。昨夜は暗闇で何も見えなかったけれど、この辺りは今が紅葉が一番美しい時期のようだ。


白樺平をしばらく進むと...

道路の両側は積雪


道路が積雪&凍結のため、美ヶ原へ進むのを断念。

キャンプ場を左折して、つづら折れの山坂道で高度を稼ぎ、白樺平へ差し掛かる。ところが!白樺平を越え、美ヶ原まであと数kmというところで突如道路が積雪!FRノーマルタイヤ&2.5tのダッちゃんでクネクネ急坂の積雪路をヒルクライムするのは無謀でしかないので、美ヶ原は断念し(涙)白樺平の森に入って、今年初めての雪の感触を楽しんだ。


燃えるような紅葉の中を進むダッちゃん

色鮮やかな紅葉


林道から望む武石村の紅葉と雲海

ともしび博物館

往路をそのまま引き返したものの、まだまだ時間があるので武石町の『ともしび博物館』へ。
開館を待って一番乗りで入館して、まるで小学校の理科室のような体験室で火熾しを体験することに。僕とMasaは“舞いぎり”に挑戦。舞いぎりで火を熾すのは小学生の時に作って遊んだ以来、実に30年ぶり。スムーズに回して摩擦を熱に換えるのがコツなんだけども、とても親切な係員さんに教えてもらいつつ、火熾し開始...ものの5分でコツを掴んだ僕とMasaは無事着火成功!舞いぎりの造りが良いと、こんなにも簡単なのか!と目からウロコなのである。


火熾し道具と言えばコレ「舞いぎり」

Masaが火熾しに挑戦

Mamaは火打ち石で...

2人とも着火に成功!

ともちゃんとAzuは火打ち石。こちらは石英の塊と鋼を打ちつけて出た火花を綿炭壷に落として火を熾すんだけども、こちらも簡単に成功。全員が火熾しに成功して、実に達成感のある楽しいひとときを過ごすことが出来た。
実に手入れが行き届いた庭を散策し美しい紅葉を楽しんだ僕らは、その後立科町へ向かう。


ともしび博物館の茶室『煌庵』から庭園を望む


舞い散る紅葉をキャッチ!

紅葉ガールズ(笑)


 

りんご狩り(立科町)


すっかりりんご農園の娘と化したAzu

立科町のT農園さんは、ヨーコちゃんの大学時代の同級生のお宅。3年前にヨーコちゃんに勧められて取り寄せたところ、これがもうスーパーで買ったりんごなんて食べられなくなるほどの美味しさ!甘く、酸っぱく、瑞々しい蜜入りりんご...今日はそのりんごちゃんたちの故郷訪問というわけである。市街地にほど近いのどかな風景が広がる田園地帯にT農園はある。
『へぇ、こんな場所なんだぁ。うちよりもずっと都会よね。』確かに(笑)


りんご狩りと言っても僕らは労働力?

紅葉にも負けない真っ赤なりんごを慎重に収穫する

T農園に到着すると、以前、Uおじさまの実家で一緒に川遊びをしたヨーコちゃんの幼馴染のお姉さまたちが既にスタンバイ。りんご園に徒歩で移動して昨日実際にりんごの収穫を手伝った彼女たちにレクチャーを受けながら、りんご狩りを楽しむ。そんなわけで今回は、ただの観光りんご狩りではなくて収穫のお手伝いでもあるので、りんごを傷つけないよう、キレイに蔕を残すよう慎重に実をもぎ取るみんなの目も真剣そのものだ。


商品価値を落とさないように慎重に収穫

こんなに収穫できました!

小春日和の暖かな太陽に真っ赤に輝く実がたわわに実ったりんご園。木々の向こうには青い空を背景に白い噴煙を上げる雪を冠った浅間山が美しい。
途中、その場で切ったりんごはもちろん、T農園のお母さんが準備してくれた暖かいおでんを頂きながら、ピクニック気分でりんごの収穫...実にリラックスできる至福の時である。2時間ほどりんごの収穫を楽しんだ後は、カゴに山盛りのリンゴを軽トラックに積込み、Tさんのお宅へ戻って箱詰め作業。結局、今回我が家が収穫したりんごは全てお買い上げぇ〜♪全部で約40kgのりんごを箱詰めしてダッちゃんのカーゴルームに載せて、T農園の皆様&Uおじさま一家に見送られてりんご園を後にする。


狩猟採取型の彼女たちにはタマラナイ?

軽トラックの荷台に乗って家に帰るAzu

ダッちゃんで走り始めるとすぐに、家族で次にどこへ行くか相談開始。我が家の百科事典であるMasaの情報によれば、このそばに中部最大の黒耀石の産地である和田峠があり、その麓に世界的にも珍しい黒耀石専門の博物館があるのだそうだ。黒耀石と聞いてキラ〜ン♪と目が輝く僕ら...行くしかないだろ!ってことで立科町を出て再び長和町に入った僕らは、大門街道を南下、ブランシュたかやまスキー場のそばにある『黒耀石ミュージアム』へ入る。


黒耀石ミュージアム

夏のグランドキャラバンでも隠岐の八幡黒耀石店で矢じり作りを体験した我が家。Mamaの守護石が黒耀石であることもあって、一番新しいカヌーにMoonlit Obsidian(月光に輝く黒耀石)なんて名前を付けちゃったぐらいなので黒耀石には特別な想いがあり...って同じことを8月のカヌー日記にも書いたけど(笑)、とにかく八幡黒耀石店の八幡さんに最大級の褒め言葉をいただいた“黒耀石加工に天賦の才能を有する”Masaはコリッ!ポリッ!ぺリッ!と黒耀石を加工する小気味良い音をもう一度聞きたいようだ。


蓼科山を望む絶好のロケーションに建つ

スバラシく立派な建物

かつて(縄文時代)全国有数の黒耀石産地であった鷹山・星糞峠の麓、雄大な蓼科山を望む絶好のロケーションに建つ長和町立『黒耀石体験ミュージアム』は思いの他立派な建物。隣接する『明治大学黒耀石研究センター』とともに去年オープンしたばかりだけにピカピカだ。
(ちなみに星糞峠の“糞”は“うんこ”ではなく“屑”の意味らしく、要するに“スターダスト・パス”の意味...めちゃ素敵!。ミュージアムの裏山にある採掘場には今も縄文人たちが残した鷹山特有の半透明な黒耀石の欠片が地面を埋め尽くしていて、月夜にはまるで夜空の銀河のようにキラキラ輝くのだそうだ。林道終点から3〜40分の山行らしいので行ってみたいと思ったけど、学芸員さんによれば『遺跡なので欠片と言えども拾うのは遠慮して欲しい』とのことなので残念ながら断念。今年度中に遊歩道が整備されるらしいので今度は夏の満月の夜にその光景を観に行きたいものだ。)


防護メガネをかけて、さぁ、矢じり作りのスタート!

殆ど“桃屋”の三木のり平状態(笑)

展示を見る前、Masaはまず矢じり作り体験へ。Azuもペンダントヘッド作り体験に申し込んで、製作開始。
隠岐では古の人々と同じ鹿の角と鹿革を使って分厚い塊から削り出した黒耀石を使ったけれど、ここでは子供の体験学習用ということで木の棒に銅線を刺した「ペンシル」という道具で薄くスライスした薄片を加工する。『これは星糞峠のものじゃないなぁ。北海道・十勝産かな?』やけに詳しいMasa(笑)。

作業を始めてすぐ、学芸員さんがMasaの手つきを見て呟く。『君、初めてじゃないね?』その道のプロには全てお見通しのようだ(笑)。隠岐で鹿の角と鹿革を使って体験済みであることを告げると『やっぱりね(笑)。じゃぁ、こんなのつまんないだろ?ちょっと待って...』と鹿革の手袋を用意してくれる。


Azuはペンダントヘッド作り。

展示は非常に興味深い

ただ、親指の付け根にアザが出来るほど力を要する隠岐の黒耀石の塊とは違って十勝の薄片は非常にもろいようで、Masaは何度も失敗を繰り返し、半泣き状態。どうも満足とは程遠い仕上がりだったようだけど、矢の先端に紐で縛ってどうにか矢じり完成。(ここでは紐で固定するけど、八幡さんによれば松脂が正しいらしい)反面、Azuは力がないぶん仕事が丁寧で、見る見るうちにティアドロップ型に成形し終え、穴にコードを通して首に掛けてご満悦。
黒耀石加工体験を終えた後、とてもわかり易く丁寧にディスプレイされた展示を楽しみ、ミュージアムショップで僕はオブシディアンナイフ、Masaは家でリベンジするための黒耀石の材料、Azuはネックレス製作キットを購入して黒耀石ミュージアムを後にした。


八島ケ原湿原トレッキング


泥炭層が堆積して出来た広大な高層湿原

鷹山を下り、大門街道に戻った僕らは、白樺湖〜車山を経由してビーナスラインを快適ドライブ。
霧ヶ峰ICで右折してしばらく進むと、標高1600mを超える草原に突如として平坦な湿原が現れる...八島ヶ原湿原である。
日本最南端の高層湿原(標高が高いという意味ではなく、湿原の中央部がドーム状、というかレンズ状に盛り上がっているという意味)である八島ヶ原湿原は我が国でも珍しいアスピーテ火山・霧ヶ峰の噴火によって出来た溶岩台地の火山湖にミズゴケが繁殖し、泥炭層(冷涼な気候で植物が腐敗しないで堆積したもの)が一年に1mmづつ堆積をしたことで出来上がった湿原で、国天然記念物にも指定されている。盛り上がった泥炭層は実に8mにも達し、単純計算で1万年以上静かに成長を続けたことになる。湿原内は環境保護のために立入禁止。もちろん湿原を横切る道はなく、南北620m、東西1050mの卵形の湿原を一周する木道を歩きながら観察することになる。


湿原を傷めないよう木道が湿原を一周している

写真家・Azu先生は写真撮りまくり(笑)

トレッキングシューズを用意していたものの、周回路がとても良く整備されているのでジャングルモックのままデイパックを背負ってビジターセンター前のトンネルをくぐってトレッキング開始。某社家庭用エアコンの商品名にもなってる霧ヶ峰高原だけど、初冬の夕暮れ時に“もの悲しさ”を求めて訪れるのは我が家ぐらいのもので(笑)人影はまばら。湿原は枯れ草色で塗りつぶしたようで実に切ない雰囲気だ。腰に下げたPROTREKの温度計は3℃を下回り、湿原を吹き抜けるやや強い風は恐ろしく冷たい。


笑顔を見せてるけど、実は非常に寒い

CLOSEした鎌ケ池キャンプ場が物悲しい

こんな時、大人にはとても暗い雰囲気に感じるひと気のない湿原も、子供たちにとってはとても興味深く思えるようで、RICOH Caplioを首に掛けたAzuはしばしば立ち止まって、ドライフラワーのようになった野花や鉛色の空を映す池などにレンズを向けて大ハシャギだし、Masaは多湿で温暖なために何でもかんでも腐って朽ち果ててしまう紀伊半島にはまず存在しない泥炭に興味津々。それぞれが、それぞれの知的好奇心を満たすためにテンでバラバラに行動していたので、あまりペースは上がらなかったけれど、約90分の湿原トレッキングはとても有意義なものだったように思う。
標高が高いのでさほど暗くないけれど、駐車場に戻ると時計の針はすでに16:30。300km以上の帰路を残していることを考えるとそろそろ帰らないとマズイ時間だ。
『あの〜、今、気付いたんだけど、今日ってお昼ご飯食べてないよね?』『へっ、そうだったっけ?』
そう、楽しすぎて忘れてた(笑)。


本当に静かで物悲しい晩秋の八島ケ原湿原
この寂しげな雰囲気を味わいに来たのだ!

上:ここでも、Azu先生は撮影タイム
下:今度は夏に来よう!

八島ヶ原湿原からビーナスライン〜大門街道はMamaの運転。途中のレストランで昼夕食兼用の温かい漁師風ドリアを楽しむと(心に沁みるほど美味しかった。涙が出た...笑)、後は高速を飛ばして帰るだけ。ところが茅野市街へ入ったところで、先に帰宅したUおじさまから電話。どうやら中央道は恵那〜瑞浪間で十数キロの渋滞が発生している模様だ。『渋滞でイライラするのもヤダし、もう少し遊んでいこっか?』

そこで、クルマを走らせながら次なる目的地を巡って家族会議の始まりはじまりぃ〜。
『オレはこの“毒沢温泉”に行ってみたいなぁ...だって、名前がステキじゃん!』と毒沢温泉を推すMasa。それに対し僕は...
『あのさぁ、マジコさんが以前に電話で教えてくれたんだけど...下諏訪温泉の“カタクリ屋”だっけ?名前ははっきりしないけど、とにかく女工さんが早くお風呂を済ませるように浴槽が深くて寛げないレトロな温泉に行きたいんだけど...。』
父親の権限を行使して下諏訪温泉の“カタクリ屋”に決まったものの、名前をはっきり覚えてなかったので、場所の特定が難航(涙)。『あっ、これじゃない?』ガイドブックに首っ引きだったMasaがそれらしき温泉を発見!!
『あのさ、下諏訪温泉じゃなく上諏訪温泉だよ。それに“カタクリ屋”じゃなく“片倉館”みたいだし(笑)』


諏訪湖畔・上諏訪温泉の片倉館に到着

思わぬところで恥をかいたけど、カーナビに導かれて辿り着いた片倉館は実に趣のある建物。1928年(昭和3年)竣工ってことを聞いてナットク!西洋崇拝でもなく、国粋主義でもない、ナントも摩訶不思議なスタイルがまさに“なんでもアリ”な昭和スタイルの原形だ。(一言で言うなら宮崎駿的デザインとでも言おうか?)養蚕&製糸で財を成した社長が造ったという歴史...地方が元気だった良き時代の面影をしみじみと味わいながら、入浴料¥600也を払って館内に入ると、マジコさん情報の通り、ちょうど小学校の25mプールのような深さ(水深1.1m)の「千人風呂」。そして大理石造りの浴槽の底には玉砂利が敷き詰められていて、歩くと実に気持ちがイイ!壁には大理石の彫刻、ステンドグラス、1000人風呂なのに13コしかない洗い場(数えてみました...笑)...奇抜ながらハリボテではない昭和の心意気を強く感じるのである。
『いいなぁ、ココ。』『う〜ん、何だかワカラナイけど、イイよな、ココ。』
Masaとふたり、のんびりまったり過ごしていると、ふたりして昭和初期にタイムスリップしたかのような錯覚を覚えるのだ。髪を拭きながらロビーに現れたAzuに感想を尋ねると『なんか変な感じ』(笑)
『だってぇ、ライオンさんやビーナスの彫刻とかステンドグラスとか...すんごく洋風でしょ?なのに、お風呂に入ってるおばちゃんたちって、すんごく和風なんだもん。な〜んか、変。やっぱり変。』
ハハハハ...そう言えばそうだな。


片倉館・浴場棟の灯りに照らされる紅葉が美しい
設計:森山松之助

上:1928竣工のレトロな館内
下:大理石造りの1000人風呂(パンフレットより)

温泉を出て、片倉館の前にあるこれまた大理石の彫刻付きの池に座ってしばらく建物を眺めた後、『何だかスネ夫の家みたいだったわね!』ってなAzuの言葉に爆笑しながら、僕らはダッちゃんに乗り込んでカーナビを「自宅に帰る」に設定し帰路につく。
諏訪ICから快調に飛ばし、駒ヶ根で最近のマイブーム、コ−ヒールンバ♪が流れる自販機で買ったコーヒーを飲みながらiPodの音楽を楽しみつつ、すっかり渋滞が解消した中央道を快適なドライブ...スピーカーから流れるKenちゃんのPOP STAR♪に混じって、寝息のアンサンブル(当然ながら三重奏)はいつもにまして盛大(笑)。1泊1日なのにちょっと盛り沢山過ぎたのかな?少し反省しつつ、♪神様が僕に下した使命は君だけのヒィーロォォー♪などと歌いながら黒猪を猛進させる僕なのだった。

 

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