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April.2005 part.4
 

 

 

 

 

 


花矢倉展望台から望む金峯山寺。僕らの歩いた尾根道に沿って続く桜の帯が美しい

 

4月17日 吉野・奥駈道トレッキング(奈良・吉野大峯)

大峯奥駈道 mission.1

『で、明日はどうすんの?』
『明日って、今日のことでしょ?』
『ああ、もう日付変わっちゃってるのか...。そう、今日だよ。』

深夜の書斎、僕とMamaは各々のMacの前に並んで座ってメールチェックをしていた。

『やっぱり伊勢湾フェリーで伊良湖に渡ってサイクリング&イチゴ狩り?』
『う〜ん、でもUおじさまんちは行けないんでしょ?じゃ、ちょっと悪いわよね、うちだけ行くのは。ワタシのインフルエンザでドタキャンになったわけだし。』
『どこか行きたいところでも?』
『実はね、この前からMasaとふたり“行きたいね!”って盛り上がってる場所があるのよ。』
『じゃ、そこにしよう。で、どこ?』
『吉野。“紀伊半島の霊場とその参詣道”のひとつとして世界遺産に認定されたでしょ?去年は今頃カヌーも兼ねて熊野三山に参詣したし、今年は吉野の大峯だと思うのよ。』
『へっ?吉野って、あの“LAST SAMURAI”の舞台になったあの“Yoshino”だろ?今頃は花見客で殺人的な混雑じゃないのか?』
『でも特別拝観が6月までなのよね、金剛蔵王権現像。』
『本気で行くつもりなら、もう寝なきゃ!』
『そうね、寝ましょう。』
『じゃ、明日、じゃなく今日の朝は5時出発ということで。』
『ラジャー!』
...って時計の針はもう1:00過ぎ。無計画ここに極まれり!な僕らである。


『ウギャァァァ〜!』スゴイ悲鳴で目が覚める。
『寝過ごしちゃった!』時刻は6:00(涙)。『もう無理なんじゃない?渋滞始まってるって。』『いやよ、10分で準備するから、行きましょう!』子供たちを叩き起こし、カヌー倉庫でデイパックにトレッキングセット(雨具、The Buton、ファーストエイドキットetc)を詰め込んで10分で準備完了。メイクに無頓着なMamaのお化粧も同時に完了(笑)で出発準備OK!ホントはPUNTOでオープンエアドライブと洒落込むつもりだったけど、道に迷って余計な時間を楽しんでる余裕はなさそうなのでカーナビ付きのOUTBACKで6:30に出発。


日本最古のロープウェイで吉野山へ

始発のケーブルカーは早くも満員

ところが、意外に近い吉野。大渋滞が始まる寸前の7:50、近鉄吉野駅近くの駐車場に到着。
軽装のデイパックを担いで、まずは日本最古のロープウェイである吉野山ケーブルカーの乗場方面へ。古式ゆかしき感じのケーブルカーの始発は8:30。狙ったわけじゃないけどちょうど始発に間に合うタイミング。何だか小さな幸せを感じる僕らだ。当初の予定ではケーブルの運行前にここに来るはずだったので七曲を歩いて登るつもりだったけど、黄色と緑に塗り分けられたレトロでファニーなゴンドラを見てると無性に乗りたくなる“乗り物大好き家族”の僕ら(笑)。『乗ってみる?』『乗ろうよ!』


美しい山並を上る

思いっきり“俗”な土産物ロードからスタート

修験者が手を触れ修行の無事を祈る 銅の鳥居。

5分ほどの空中散歩で僕らは山上駅に到着し、大峯奥駈道とは思えない俗っぽい土産物屋ロードを歩き始める。歩き始めて3分、『ああっ、美味しそう!』Mamaが“桜みたらし”の罠にトラップされる。『わ〜カワイイッ!』Azuも次々現れるお土産物屋の誘惑に我を忘れてキョロキョロ...もはや僕らはトレッカーなんかじゃなくて、これじゃただの観光客じゃん(涙)。

何とか幾多の誘惑を振り切って重要文化財・銅の鳥居に到着。高さ7.6m聖武天皇が奈良の大仏を鋳られた銅の残りで建立されたとの伝承がある由緒ある鳥居である。安芸宮島の朱塗りの木の鳥居、大阪四天王寺の石の鳥居と並んで、日本三鳥居の一つとされるとのことなので、僕らもひんやりした鳥居に触れ、修験者に倣って「吉野なる銅の鳥居に手をかけて、弥陀の浄土に入るぞ嬉しき」と3度唱えて今日一日の無事を祈ることにする。

鳥居を過ぎ、さらに土産物ロードを進むと眼前に高い石垣の上に建つ金峯山寺が見えてくる。
石垣は修験道の信仰の場というよりどちらかと言うとお城や塞のイメージ。宗教が時の為政者と対峙する関係にあった時代、武装した僧兵たちなしで宗教の教えを宣教し続けることができなかったのだろうなぁ、と感じさせる“厳つい”構えである。石段を上った所に国宝・仁王門。普通山門ってのは南向きに建ってることが多いけど、この門は北向き。これは修験者が北から南の大峯山に入り熊野に抜ける“順峯”(じゅんぶ)する方向に合わせたため。(熊野から入ることを“逆峯”というらしい)
山門をくぐると右手の巨大なお堂が蔵王堂(こちらも国宝)。幾度となく戦火に見舞われ1591〜2年に再建された世界第二の木造建築(東大寺大仏殿がNo.1)だ。蔵王堂前に立ち、その荘厳な姿に言葉もない僕ら。


国宝・仁王門

金峯山寺蔵王堂。東大寺大仏殿に次ぐ第2の規模を誇る

以前から訪れたいと熱望しながらも、人ごみが大嫌いな亭主に遠慮して言い出せなかった(笑)Mamaは特に感無量、早くも顔がマジ(笑)。早速、拝観料を払って蔵王堂へ入る。

ひんやりした堂内。暗さに目が慣れると眼前に圧倒的な大きさの青い塊が見えてくる。畳敷の間に背筋を伸ばして正座すると、立っていた時には拝めなかった青い塊...金剛蔵王権現像の全貌が姿を現す。
説明係の方によれば、ご開帳でその姿を拝観できるだけではなく、希望者はさらに内側...内陣に設けられた障子で仕切られた“発露の間”に特別に入ることができるのだという。
迷うことなく、家族全員がご本尊の前に進み出ることを希望し、障子の衝立に囲まれた1m四方ほどの空間で改めて金剛蔵王権現像と対面する。

発露...つまり懺悔を済ませ(笑)、至近距離で権現像を見る。その濃い青の色合いは写真で見るよりもさらに濃い印象。この青、どこかで見た青だな...思いを巡らすうちに気が付いた。この青は熊野の青。熊野灘の黒潮の青である。
400年以上拝観が許されなかった秘仏中の秘仏。僕らは今、その秘仏のそばにいる!感激の瞬間。 その怒りに満ちた表情、でも眼は決して僕を見ていないので怖れや恐れを感じないことに気付く。つまり怒りは前に立つ僕に対して向けられているものではなく、僕の後ろにある“何か”を威嚇しているように思えるのだ。僕の後ろにある“何か”...それが何なのか?僕には見えないけれど、何か強く大きな力に護られているような安心感を覚えるのは何故だろう。それはここ吉野、そして熊野が自然に対する畏敬の念に起源を持つ修験道の聖地であり、僕ら家族がカヌーやトレッキングというアウトドアアクティビティを通じてその熊野の自然に濃密に関わっていることと無縁ではないだろうと思う。

僕は不信心な小乗仏教徒で(涙)、戦後教育を受けた若者らしく正直なところ宗教色のあるものをなるべく避けて生きてきた。特にハードな修験道とは何の所縁も因縁もない。でも、山伏のように心身を鍛えることで験力を得るといった目的があるわけじゃないけど、川を自分の腕一本で下り、不本意にも沈をして熊野川の水を飲み、河原の玉砂利の“体温”を感じることで、しばしば“自然と一体になって五感を研ぎ澄ます”感覚を覚えることがある。これこそが熊野の心であり熊野で遊ぶ意味である...僕が“発露の間”での数分の間に悟ったことである。


詳しくは金峯山寺公式HPにて

発露の間から出た僕は、昔あったSONYのCMの“考えるサル”そっくりの神妙な顔つきのMasa、実は何にも意味ワカラン!なAzu、そして感激のあまり涙でグショグショになってるMamaと蔵王堂を後にする。
MamaとMasaは何か感ずるところがあったことは明らかだけど、Azuにとって金剛蔵王権現像は“青鬼さん”にしか見えなかったかも知れない(笑)。でも彼女が大人になってその価値を知った時、きっと僕やMamaに感謝する日が来るに違いない...そう確信して僕らは赤ちゃんの時から彼らを“ホンモノな場所”に連れ出しているのだから。


土産物屋街を抜けるといよいよトレッキング
らしくなる。桜も良いけど新緑もイイもんだ。

 

金峯山寺から500mほど進むと左手に吉水神社。後醍醐天皇の玉座や義経潜居の間が残る。秀吉が5日間に渡って花見に訪れた際の本陣もここだ。勝手神社前の分岐を右に進むとそこからはやっと土産物屋の喧噪を離れ、美しい新緑の中を歩くことができる。


大峯奥駈道の標石前にて

土産物屋や旅館が立ち並ぶ一角、実は下千本から中千本の桜を眺める絶好のビューポイントなのだそうだけど、店に入らないとその眺めを堪能することが出来ないのが非常に残念。そして勝手神社からの道はちょうど谷の底のような地形で桜は垣間見る程度だけど、吉野の魅力は何も桜だけではなく、逆光に美しく輝く新緑もため息が出るほどに美しい。

バスターミナル天王橋を越えたあたりで、さらに道が分岐する。そこに奥千本・金峯神社前行のバスの始発拠点がある。まだ9:30a.m.だというのに、すでに数百人の長蛇の列。自分の足で登ることに決めている僕らは、ちょっと優越感を感じつつ(笑)、バス待ちの人達をかき分けて大塔宮迎徳碑の脇を左に進む。
ここからはつづら折れの急坂。車道と奥駈道の地道が何度も交差し、ここから本格的なトレッキングとなる。


覚範首塚辺りから金峯山寺を望む

ただひたすら50分間の上り坂なのでそれなりに足に疲労がたまるけど、その疲労を忘れさせてくれるのが左手に広がる絶景!!中千本から上千本へと連なる桜の帯...中でも覚範首塚周辺からの眺めはまさに吉野桜!とスバラシイ!の一言。

バス乗り場から50分で吉野水分神社に到着。ここで水分補給...なんていうベタな洒落はともかく“みくまり”神社前の売店で飲みものならぬソフトクリームを食べながらひと休みした後、境内へ。
美しい朱塗りの門をくぐると、まず目に入るのが満開の桜。吉野の桜“等高線”の満開ラインはちょうどここにある...そう確信する重々しく感じるほど撓わに(?)咲いた桜である。次に目を惹くのがひと棟に3社が連なる本殿。何故かここで大分の宇佐神宮や熊野三山の本殿を連想してしまう僕だ。熊野はともかく、宇佐との関連はないんだろうけど...。


 上千本の桜は今が満開!(僕らの顔も桜色...笑)

水分(みくまり)神社に到着

山門から境内を覗き見る

 

水分神社の鳥居と桜

 


水分神社の桜は今が盛り

ガイドブックの“健脚さん”タイムより早くてゴキゲン

1604年に豊臣秀頼によって再建されたと伝えられる由緒ある吉野水分神社を出ると、そこからは空に向って真直ぐに伸びる吉野杉の美林が続く。高城山の木立の中を進む快適な林道。ガイドブックに「吉野水分神社→金峯神社 健脚25分」の記述を発見したAzuが急にペースを上げてぐんぐん坂を登って行く。ど、どうしたAzu!聞けば、『ワタシ、健脚さんのタイムを破りたいの!』のだそうだ。(笑)動機はともかく、Azuが元気なのは嬉しい限り。特に見るべき旧跡も素晴らしい景色もないけど清々しい道をただひたすら登ること15分、金峯神社の門前に到着。ちょっとした広場があって警備員が配置されている。ここが麓からのバスの終着点になっているらしい。
ここで何故か売ってるタコ焼きを食べてひと休みする僕ら(笑)。さらに急な坂道を登って金峯神社へ。


急坂を上って金峯神社に到着

義経隠塔前に咲く可憐な花

摂政関白・藤原道長も祈願したと言われる古社だが、思ったよりも小さなお社。NHK『義経』を熱心に観てるMasaの強い希望で社から100mほど下ったところにある義経隠塔へ。別名・義経蹴抜塔と呼ばれるこの建物は“塔”と言う名の通り、義経が頼朝の追跡を逃れ吉野に隠れた当時は立派な五重塔であったらしい。そう言われればそう見えなくもないなぁと感心しつつ、再び金峯神社前に戻った僕らは、そこから西行法師が3年間閑居したと伝えられる西行庵への石畳を進む。
ここまで来ると花見目的の観光客の“体力限界点”を超えるのだろう(笑)。山道を行き交う人の数はめっきりと減って、ほとんどが軽登山靴&スパッツを身に着けた中高年のトレッカーだけになる。そうなると『こんにちはぁ〜』という挨拶をする人が多くなるのが面白い。


金峯神社の参詣を終えて西行庵を目指す

金峯神社からは奥駈道らしい石畳が始まる

「左・山上ケ岳 西行庵/西行庵・右」というどっちに行ったらいいのかよくワカラン標識をとりあえず右に進み、掘割のような小さな峠を越えると急勾配の斜面をトラバースするような道になる。眼下にはまだ初々しい少女のような一分咲きの桜の並木が斜面にへばりつくように広がっている。

手摺のある細いトレイルを下ると、そこが西行庵。小さな庵が建つだけで桜にはまだ早いし特に目を奪われる景色があるわけでもない『森林組合の仮貯木広場』といった印象の場所だけど、秋ともなれば“妖しい”ほどに美しい紅葉が見られる場所なのだそうだ。

西行といえば仙人のような老人のイメージがあるけれど、ここに閑居したのは実は今の僕よりもずっと若い20代の頃のこと(30才の時に平泉で詠んだとされる「聞きもせず束稲山の桜花吉野の外にかかるべしとは 」の歌で、彼が吉野に住んだのはそれ以前であることが判る)。そのことを知って、僕は西行と“ウォールデン―森の生活”を書いたH.D.ソローの姿が重なって仕方がない。ソローが森で過ごした2年間、それは彼が38歳から39歳にかけてのこと...つまり今の僕と同い年の頃のことである。


奥千本の桜が姿を現す。まだ1分咲

西行庵。意外に素っ気無い建物

西行とソロー。
一般的には禁欲的な生活を送ることで俗世の柵(しがらみ)を断切るため、一種の“逃避”のためにこの場に居を構えたと見られがちだけど、ソローにとってウォールデンが禁欲の場であると同時に大いなる享楽の場であったことや、僕にとって昨日の“何もないけど何でもある”宮川の河原と同じように(笑)、実はここは彼にとってとても居心地の良いキャンプサイトだったのではないのだろうか?と感じてしまうのである(そう言えば風が吹かない窪地で水があって薪には事欠かないこの場所...僕もここにテントを張りたいと感じるもん)。
敢えて何もない自然の中に身を置き、ひとりになって家族や友人に囲まれ便利で快適な日常を想うこと...実はこれが僕にとってのアウトドアの愉しみであり目的だったりする。

(レベルが余りにも違うことや志の大きさを無視すれば)何となくだけど彼らに近しい感じを覚える、と書くと『オマエに西行法師やソロー師を語る資格があるかっ!』って叱られるだろうか?(笑)


桜はまだだけど、一応記念写真

西行庵から戻る奥駈道

西行庵から往路とは別のルートで50mほど進むと「とくとくと落つる岩間の苔清水くみほすほどもなき住居かな」と詠んだ苔清水が見える。ここでみんなで喉の渇きを癒し、Masaが空になったペットボトルに苔清水の清冽な水を充填し(これは後に帰宅後の美味しいコーヒーになった)、吉野杉の美林をしばらく進むと山上ケ岳から下ってくる奥駈道に合流する。
合流点にある小さな東屋でしばしの休憩。東屋には登山靴&スパッツに武装した僕の母親ぐらいの女性3人組の先客。彼女たちは声高らかに若い頃通った宮川ダムから大台ケ原・日出ヶ岳への大杉谷の危険さについて語り合ってる。そして僕らを見てニコニコ笑いながら『若いお父さんが山好きであの坊ちゃんとお嬢ちゃんは幸せよねぇ...』いえいえ山好きってワケではなくホントは川好きなのですが...いちいちお返事するとお話がエニーバディ、ストップゼム!になっちゃいそうなので笑顔で応えて、そこを立ち去る。

 


中千本から上千本を望む。これぞ吉野桜!な風景

山上ケ岳のへ分岐の東屋からは、ただひたすらの下り坂。膝に爆弾を抱えている僕はちょっとペースを落とし慎重に歩くけど、体重が軽くて筋肉や関節が超・柔軟なAzuはカモシカやイワトビペンギンのようにタッタッタと坂を下る。別名“下りの女王”の彼女。しかも山麓のお土産物屋さん巡りという強烈な動機を持って進む彼女のペースに追い縋るのは、かなり辛い(涙)。
車道ではなく奥駈道の地道を通って無休憩で金峯神社〜高城山展望台〜吉野水分神社〜竹林院と進み、あちこちに立ち寄って進んだ往路の半分ぐらいの時間で土産物街に到着だ。
『うわぁ〜、カワイイ!』『キャー、美味しそう!』うちは女性は2人だけど“姦しい”(かしましい)叫び声を上げて土産物屋に突入!その様子を苦笑しながら眺める僕とMasa...観光地でのいつもの情景である(笑)。


まだまだ元気なAzu

お土産物屋さんでさらにパワーアップ(笑)

茶店で軽くうどんを食べて、西行庵〜竹林院と同じぐらいの時間を掛けて土産物屋の並ぶエリアを歩いた僕らがケーブルカー乗り場に到着したのは15:00ちょうど。
さすがにケーブルカーは乗車待ちの長い列が出来ていて、僕らはそんな様子を横目に見ながら「七曲り」と呼ばれるつづら折りの坂を下る。坂からは近鉄・吉野駅とその周辺の道路が一望出来るのだが、すでに下り方向の渋滞が始まりつつあるようだ。
『ヤバい!急げ!』僕らは小走りで七曲りを下る。

30分ほどで麓の駐車場に到着。
15:30...スタートが8:00だから、ほぼ7時間半を行動食&桜みたらし&山菜うどんだけで歩き通したことになる。Masaの腰に着けた“ポケットピカチュウ”(万歩計)は24800歩余り。彼の歩幅は上りは約35cm下りは約55cmなのでその数字で計算すると今日歩いた距離は約11km。

ガイドブックによればどこにも立ち寄らず真直ぐに進んで往復した場合で8km程度とあるので、大体正しい数字だろうと思うけど、かなりゆったりとしたペースで歩いたこともあって、全く疲れは感じない。自然と歴史、そしてお土産物屋でのショッピング...家族それぞれの希望を満たす良いトレッキングコースだったね...僕らは心から満足してデイパックを下ろす。

『ありがとう、パパ!あなたの大嫌いな人ごみにキレずに付き合ってくれて。』
皮肉を取り混ぜながらニコニコ笑うMama。
『でも実際のところ、昨日の誰も居ない宮川にソロで行けたからこそ、ここに来る気になれたんだけどさ。そうじゃなかったら桜満開の吉野なんて絶対に来ないよ、オレ(笑)』
『覚えてる?ワタシが18歳の時、一度ふたりでシャレードちゃんに乗ってここへ花見に来たこと。』
『覚えてるよ。でも大渋滞にハマって泣きそうになりながら桜を観ずに引き返したよなぁ。』
『そうそう、20年ぶりにリベンジできたわね!』

 


麓の道路は渋滞が始まってる!急げ!急げ!

高見峠から三重県に。“桜街道”と呼びたいほど桜が多い。

もしも今、20年前の僕達ふたりと話すことが出来るなら、渋滞にハマって泣きそうになってる若いふたりに、『君たちふたりは20年後、4人になってここ吉野を再び訪れるんだよ。』そんな風に今日のこの出来事を語って慰めてあげたいナ、なんて思う。20年前の僕らは今の僕らを見て、生きてゆく希望を感じるのだろうか?それとも失望で別れちゃう?そんな楽しいような怖いような想像をしつつ、僕らはOUTBACKのカーゴルームにデイパックを放り込んで、すぐに吉野を後にする。早くも渋滞が始まっているからだ。
幸運にも大した渋滞ではなく比較的スムーズに吉野川を渡った僕らは、Mamaの運転で快適なワインディングの続くR169を進み、青空をバックに円錐形の美しい山容を見せる高見山を眺めつつ、高見峠から三重県へと戻る。長いトンネルを抜けると三重県側は道路脇に満開の桜が立ち並ぶ、まさに“桜街道”の様相を呈している。
『丁重に守り育てられてる吉野もいいけど、ここの野性味溢れる桜もいいねぇ〜!』
僕らは道路脇にクルマを停め暫し美しい桜を眺めたりしつつ家路を急ぐのだ。

『来年は絶対早起きして、PUNTOの屋根をオープンにして走ろうね!』
『何言ってるの!来年の桜じゃなくて秋の紅葉にまた来るのよ!』
うん、それグッドアイデア!早くも秋の予定がひとつ決まり!である。


中でも最も素晴らしかったのは、道路脇でひっそりと満開を迎える無名のしだれ桜。

自宅6:30……7:50近鉄吉野駅そば駐車場8:00………8:20吉野山ケーブル乗り場8:30……8:35山上駅……8:45銅の鳥居……8:50金峯山寺9:20……9:30吉水神社9:45……10:10花矢倉展望台10:15……10:26水分神社10:55……(タコ焼きタイム)……11:30金峯神社・義経隠塔11:50……12:00西行庵12:05……12:09苔清水1215……12:35金峯神社……13:20竹林院……(ランチタイム)……14:59ケ−ブルカ−山上駅……七曲り…15:10幣掛神社……15:30駐車場15:40……R169(飯高道の駅で夕食)……17:30自宅

 

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