FLAME
LAYOUT
HISTORY
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レンタカーのUNOとともに(スペインにて1988)
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1983-1984
Jan,1983
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フロリダ・オーランドにて127の後継車種フィアット・ウーノ、デビュー(プレス発表会)。G.ジウジアーロ(イタルデザイン)の基本デザインをフィアット最新鋭の完全ロボット化工場で生産。
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Apr,1983
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雑誌の特集でウーノを知る。やけにロボットみたいな顔つきだなあ、が第一印象
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Sep,1983
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マルセイユ・カー・オブ・ザ・イヤー(仏)受賞
ウーノ、日本上陸。70s(1300/5door)と55s(1100/3door)の2車種のみ。輸入元はチェッカーモータース。
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Nov,1983
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ノルウェー・カー・オブ・ザ・イヤー受賞
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Dec,1983
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アイルランド・カー・オブ・ザ・イヤー受賞
ヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤー受賞
累計生産台数40万台達成
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Jan,1984
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スペイン・ウイメンズ・カー.オブ・ザ・イヤー受賞
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Feb,1984
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ユーゴスラビア・カー・オブ・ザ・イヤー受賞
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1985-1986
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Mar,1984
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Moto誌(独)モースト・インテリジェントカー受賞
日本市場にSX70(1300/3door)追加
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Feb,1985
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フュエール・エコノミー・スター(仏)受賞
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Mar,1985
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Moto誌(独)モースト・インテリジェントカー2年連続受賞
累計生産台数100万台達成
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(UnoのヒットによりFIAT、ヨーロッパNo.1メーカーに。)
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Apr,1985
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ブラジル・リオデジャネイロにてフィアット・ウーノターボi.e.デビュー。
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Jun,1985
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国内各誌がリオでのプレス発表会を特集。ロケットだの麻薬だのアブナイ言葉が並ぶ。「国産スーポーツカー」より速い!200km/hオーバー!って文字に心揺れる。
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Sep,1985
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ウーノ・ターボi.e.日本上陸
この時僕も初めて具体的にウーノターボを欲しいと感じたらしく、「スクランブル・カー・マガジン」の記事を切り抜く(切り抜きは現存)。(以来ウーノ関連のスクラップブックは300ページを超える。)
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Sep,1986
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ターボ・ディーゼル登場
初めてディーラーへ出向く。原車を見て一目惚れ。なぜかABARTHのバッヂを3枚も買って、愛車に取り付け(笑)
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Sep,1986
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ノルウェー・カー・オブ・ザ・イヤー受賞70Sが70SLに名称変更。55sはパワーアップし60sに.
Y10とエンジン共用の45Fire登場。
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馬に道を塞がれ立ち往生(鹿児島/開聞岳1989)
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グランドツーリングはスーツケースと共に(1992)
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1986-1989
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Oct,1986
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CVT搭載の60sセレクタ登場。(CVT世界初)
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Jan,1987
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スペインで初めて友達のウーノターボに乗る!ウーノは町中に溢れているが、ターボはお坊ちゃまのクルマだと友人Franciscoは語る。お坊っちゃまか〜。200km/h初体験。
ウーノの3ボックスセダンとステーションワゴン登場。その名もDONA。
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Feb,1988
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再びスペインでウーノに乗る。レンタカーなので55sだったが、高速道路でポルシェとバトル!負けたけど...
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Oct,1988
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オールホワイト&ブラックのボディにABARTHデカール付きの限定車FIAT
ABARTH1300登場。
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Mar,1989
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新色と皮巻ステアリング、シート生地、ホイールを多少変えた限定車「スポーツパッケージ」登場。
ディ−ラ−で初試乗。国内で左ハンドル初体験なのでかなりもたつくものの、その場で予約。営業マンの言葉「3年越しでクルマ買ったヒトも珍しいですよ...」
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Jun,1989
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納車予定なのでディーラーに電話。「まだなんですよ〜、今スエズ運河ぐらいかなあ(笑)」と冗談で済まされる。
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1989-1990
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Jul,1989
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納車。慣らし運転を兼ねて京都から足摺岬までドライブ。走行距離1200km。当然日帰り。
1ヶ月点検。タ−ボタイマ−取り付ける。
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Sep,1989
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IAAフランクフルトショーにてウーノ・フェーズ2発表(大幅なマイナーチェンジ)。デザインはI・DE・A。
マイナーチェンジがあることは知っていたものの、正直不安だったのも事実。確かにフェーズ2は洗練されてるし出来はいいんだろうけど、やっぱりフェーズ1が好き。
累計生産台数400万台を突破。
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Apr,1990
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輸入元がサミット・モータース・ジャパン(住友商事系列)に変更。車種はターボi.e.、75SX、Selecta、45Fireの4種類。
結婚する。新婚旅行でカナリア諸島へ。ここもウーノだらけだったが、なぜかレンタカーはルノーが多かった。ここでルノー・サンクと運命的な出会い。結婚したらYAMAHA
JOGのかわりにランチアY10を買うと断言してたともちゃんがルノーサンクに心変わり。
1929ccディ−ゼル仕様登場(日本未発売)
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チャイルドシ−トに御満悦のまあくん(1992)
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カヌーはいつもこのスタイルだった(長良川1994)
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1990-1992
Jun,1990
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突如、運転席側のウインドウガラス砕け散る!クレーム処理。
12ヶ月点検。異常なし。九州までの850kmグランド・ツ−リング敢行(単なる里帰り)7時間半で到着。ほとんどともちゃん(ヨメ)の運転。「うわあ、200キロ超えてる!」少々スピード狂か...。カヤック用キャリア(スーリ−)取り付け。ウーノでよくキャンプに行ったのはこの頃。
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Nov,1990
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フェーズ2、日本上陸。45Fireがなくなる。
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Apr,1991
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エンジンから爆発音!白煙上がる。Marelliのバッテリーが成仏。かわりに白熊くんマーク(オーストリア製)のバッテリーが(涙)
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May,1991
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12ヶ月点検。クーラーのガスがやたら減るので暑くてたまらない。ホースに亀裂発見。
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Jul,1991
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転職。ボルボ740GLを譲り受けたのでウーノはともちゃんのものに。
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Apr,1992
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ともちゃん妊娠中にもかかわらず、カナディアンカヌー始める。14ftのカナディアンは完全に道交法違反だが、ルーフが長いウーノはとても積みやすい。
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1992-1994
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May,1992
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「走り屋」ともちゃんは大きなお腹なのにタイヤを鳴らせながらドリフト走行(笑)アイドリングが安定しないから余計にエンジンを回す癖がついたようだ。
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Jul,1992
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まあくん誕生。早速チャイルドシートを探すが、FIAT純正やSabolt製はベビー用がない。仕方ないのでボルボのを購入。デザインはゴツイがとても機能的。Sabeltのワッペン貼り付けてごまかす(笑)
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Jul,1992
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初めての車検。部品代ゼロというイタリア車の常識をくつがえす快挙。妹のフェスティバ('89)より3万円も安い車検代は今も語り種になっている。
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Nov,1993
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事実上の後継車種であるプント登場。ただしウーノも生産継続。
12ヶ月点検(ちょっと遅れた)アイドリングが安定せず、すぐにスト−ルしてしまう症状。ポート清掃で元通り。
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Mar,1994
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初めて子連れでカヌー。いきなり転覆して大騒ぎ。カヌーショップのお兄さんに「カヌーが載せやすいクルマですねえ。」と誉められる。
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Jul,1994
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2回目の車検。今回も格安で驚き。交換部品はウィンカ−レンズの透明プラスティックビス1本のみ。
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道路交通法違反(熊野川1996)
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新緑の宮川にて(宮川1997)
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1995-1997
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Jul,1995
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ボルボ850GLエステ−ト購入。これでウーノはカヌーのトランスポーターの大役を引退。...と思いきやカヌーツーリングの際にはやっぱりカヌーを載せられる羽目に。
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Aug,1995
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油圧計故障。プレッシャーSW交換。中間マフラーも溶接修理。ついでに12ヶ月点検。
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Dec,1995
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累計生産台数700万台突破!
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Mar,1996
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娘のあず誕生。体重が14kgを超えたまあくんはボルボのチャイルドシートを卒業し、シートベルト併用のチャイルドクッションに。これまたFIATマークのワッペンでドレスアップ。
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Jul,1996
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3回目の車検。今度はちょっと時間がかかってしまった。(でも費用は安いけど...)この間にルノー・サンク・バカラAT('90)を購入。資金はともちゃんが6年間貯めたヘソクリ全額(笑)
↓下にその詳しい経緯が...
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Nov,1997
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ランドローバー・ディスカバリ−4.0ES購入。
ボルボが大流行りでとんでもなく高く売れたためほとんど追金なし。ボルボの頑固でちょっと変なところが好きだったのに...
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1998-1999
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Jul,1998
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4回目の車検。マフラーが朽ち果ててステイが折れて道路に擦れる状態なので今回は...と覚悟していたのだが、廃車のパーツを利用して修理してもらったので、やはり格安。しろくまさんマークのバッテリーも交換。
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Feb,1999
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家を建て替えることになり、いよいよウーノは所有してられない。と、そこへウーノが欲しいって人が現れた。ちゃんと掃除してオイルや冷却水を交換して完全な状態でわたさなきゃ...ところが、お別れドライブで再びウーノに惚れ直してしまった。このままだと、朽ち果てるまでのおつき合いになりそうな予感(笑)まあくんが免許を取るまであと11年、なんて考えが頭をよぎったりして...
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お別れドライブ(?)にて(自宅近く1999)
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この車庫からあまり出なくなってしまった(1999)
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1999-2000
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Jul,1999
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なんとなく天井が低くなって来たような気が...。良く見ると天井の内張りが少しずつ剥がれて垂れ下がってる!!どうやら内張りの芯材とビニールクロスをくっつけてる接着剤が経年変化で弱っているようだ。ま、我慢出来ないことはないので放置。
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Dec,1999
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内張りはどんどん下がってきて。ついにルームミラーが見えなくなってしまった。こりゃたまらんってわけで早速、ディーラーに電話。ところが内張りは受注生産で取り寄せには本国への注文が必要とのこと。しかもサイズが大きいので船便扱いになり3ヶ月〜半年かかるらしい。そんなに待ってられないので、内張りの張り替えもやってる近所の整備工場に内張りを外して持ち込む。
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Jan,2000
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オリジナルと同じ素材は選べなかったものの、なんとか同色で張り替え完了。費用は¥20000。整備工場で「いやあ、綺麗に乗ってるねえ!」と御褒めの言葉をかけられ気分が良い。ドアの10円玉攻撃の跡も修理してもらおうと思ったけど、ちょっと予算不足。よ〜く見ないと分からないからいいかって自分を納得させる。
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ESSAY
車庫を縦長にしたのがきっかけなのかも知れない。もちろん我が家の狭い敷地では並列に3台の車庫を作ることは不可能ではあるのだが。朝一番に出かける僕のクルマ、LAND
ROVER
DISCOVERYは当然一番前に置かれ、次に妻のRenault
5、そして一番奥にFIAT
Unoという配置はいつの間にか定位置となっていた。こういった場合、一番奥に置かれたUnoはどうしても乗らなくなってしまうので、はじめの頃は時々ローテーションさせていたのだが...でも結局Unoは置き物と化してしまっていた。
「クルマというものは走ってナンボ」そう考えている僕は、決してクルマを猫可愛がりしない。ガンガン乗って、壊れたらキッチリ直せばいいじゃないか!ってな考えである。そんな僕が一番辛いのが「乗ってもらえないクルマ」を見ることだ。うっすらと埃をかぶって悲しそうな目つきでうずくまっているUno(僕にはそういう風に見えた。)を見る度、心の中で『ごめんね!』と呟く毎日が続いた。
妻にこんな話をすると「あなたは愛人が持てないタイプね。」などと笑うのだが、まさにUnoはお手当だけは貰ってるものの旦那が時々しかやって来ないので窓の外を眺めてはため息をつく悲しい愛人のような(なんて例えだ!)悲哀を感じさせた。
そんな時である。「akiさん、Uno乗ってる?」そう声をかけてくれたのは、知人Sさんである。彼は仕事上でお世話になっている方で、プライベートでは同じクルマ趣味仲間でもある。今、彼はBMW
Z-3しかも1800cc
5MTという前期型を所有していて、先日その愛車のために立派なガレージを建てたばかりである。今でこそドイツ車フリークの彼だが、若い頃はイノチェンティ・デ・トマソ(ダイハツ製3気筒エンジンを積んだ個性派モデル)に乗って幸せなイタ車生活を送っていた経験がある。しかしそのデ・トマソも仕事の都合で否応無しに売らざるを得なくなり、涙ながらに手放した経験の持ち主だ。仕事が落ち着いて再びデ・トマソを買い戻そうとしたものの、既に愛車は行方不明。以来イタ車、なかでも小型FIATの代表格Unoに憧れ続ける日々だったとのことだ。それが証拠に彼の仕事場にはUno発売時に使われたジョルジイオ・フォラッティーニの手によるキャラクター「かわいいゾウさん」のステッカーが貼ってあるのだ!
「いやあ、最近乗ってやってないですねえ...。何度も手放そうと思って、でも出来なくて...。旧いクルマだし売るって言ったって値段がつかないから、手放すとしたら廃車かなあ。」「もしakiさんが手放す時は絶対僕に言ってね!欲しいから。」それ以来、仕事で彼のもとを訪れる度「Uno元気?」「Uno乗ってる?」彼はそう言っては僕を励ましてくれた。「akiさんが手放すまで待つから、急がなくていいよ!」
埃をかぶったUnoを見つめながら、僕はそんなSさんのことを思い浮かべていた。愛車Z-3を駆って鈴鹿サーキットを、そして本場ドイツのアウトバーンを走るほどの彼が操ったら、Unoはどんなに輝いて見えるだろう。そんな想いが頭をかすめた瞬間、僕は決意した。「Sさんにもらっていただこう!」
妻にその気持ちを伝えようと思いつつ、言い出せないで幾晩かを過した。サンクを買った時にUnoとの別れを悲しんで涙した彼女、そして息子のまあくん。意を決して彼女達に打ち明けてみると、答えはあっけないほどであった。「いいわよ。Unoは走ってる姿が一番カッコいいもの。止まってる時は旧いマーチみたいだけど、曲り角をまがってく姿はまるで違う。ガレージで古びてくUnoはもう見たくないの。」
・・・こうしてUnoはSさんにもらわれて行く。
日曜日、僕らは最後のドライブに出かけた。
ざっくりとした織りのレカロプロデュースのシートに腰を降ろし、イタリアンレッドのサベルト社製シートベルトを締め、小判型のキーを回すと独特のセル音を響かせエンジンに火が入る。VEGLIAのメーターの赤い針は軽々と跳ねるように動く。握り心地の良いシフトレヴァ−をLowに入れて、クラッチを繋ぎながら今となっては重すぎるステアリングをゆっくりと回す。Unoは若干ローギアードすぎるLowから伸びの良い2nd、最も美味しい3rdへとシフトアップ。あっという間に制限速度+αに達する。このあたりから、それまでゴツゴツ感のあったサスペンションが急にしなやかな感じに変わる。路面状況を適確に伝え、しかもそれなりに乗り心地のよい、いわゆる「猫脚」の雰囲気である。コーナーでのステアリングの反力は相変わらず大きいもののトラクションをしっかり伝えてくれる安心感は現代のクルマにも負けない美点のひとつだ。
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「う〜ん、Uno恐るべし!!」別れる決意が揺らぐ一瞬。そんな時...
「やっぱ、Unoはせまいなあ。」「なんだか乗りごこちも悪いし。」「しゅうちゅうドアロックがないのは困るよね。」息子のまあくんが急にUnoの悪口を並べ始めた。「どうしてそんなに悪口ばっかり言うの?」そう言いながらルームミラーを覗き込むと、そこには涙で目を赤くしたまあくんが映っていた。
「今が別れどき」僕はそう感じた。
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参考文献
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FIAT+ABARTH
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いのうえ・こーいち 著
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保育社
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World Car Guide15
FIAT
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森口将之 著
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(株)ネコ・パブリッシング
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自動車コラム大全1984-1989
|
家村浩明 著
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双葉社
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間違いだらけのクルマ選び'86
|
徳大寺有恒 著
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草思社
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FIAT UNO Owners Workshop Manual
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Peter G Strasman 著
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Haynes Publishing
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雑誌誌名は割愛します。
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Copyright
1998-2000 Akihikom.All right reserved
paddler@mac.com
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