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October.2004 part.3

 

  

 

 

10月31日 室生寺ショート・トリップ(奈良県・室生村)

秋晴れとはほど遠い今にも雨が降り出しそうな空。雨になったら一度は行かなくては!...そう思ってた室生寺に午後からショートトリップすることにした。室生寺はヤッパリ雨でしょう!家族の意見が珍しく一致した朝である。


太鼓橋でよもぎ回転焼を食べる

室生に行こうと思い立ったのは2000年の五重塔落慶法要(1998年の台風7号で甚大な被害を受けその後修理された。)のニュースを聞いた頃だから、4年越しの念願が叶ったというわけだ。

我が家からクルマで約50分、太鼓橋を少し通り過ぎた駐車場にクルマを停め(大抵の観光地ってのはは少し通り過ぎた場所が料金が安い。その差はたった¥300、されど¥300)、ぶらぶら歩いて山門を目指す。
門前の茶店で山菜うどんを食べて、写真家・土門拳の定宿だった旅館の前を通って、山内へ。

名物よもぎの回転焼を頬張りつつ、“女人高野”室生寺をゆったり散策。紅葉にはまだ早いこともあって観光客は疎らで、霧雨に煙る山内はとても厳かな雰囲気。

朱塗りの美しい山門をくぐり、鎧坂(よろいざか)をのぼりきったところに金堂(平安初期・国宝)。釈迦如来立像や十一面観音菩薩立像(いずれも国宝)が圧巻。
金堂から石段をさらに登ると、灌頂堂(本堂・鎌倉時代・国宝)と弥勒堂(鎌倉時代・国重文)がある。灌頂堂は真言宗における重要な儀式である「灌頂(かんじょう)」を行うことから、その名がついたらしいけど、しっとりと濡れた壁の手触りが“室生寺ね!”な感じ(意味=女人高野らしく女性の肌のよう..笑)。本尊は如意輪観音像。

左手の弥勒堂の釈迦如来立像(国宝)も見逃さないようにさらに進むと、長い石段を登るにしたがって、国宝・五重塔の丹塗りの赤い塔が緑の木立の中に徐々に姿を現す。


写真家・土門挙が愛した静かな境内を歩く

世界最小の五重塔(国宝)

たぶん、というか間違いなく室生寺のレイアウトを担当した人は遠景と近景の重なりの中に端整な塔が出現するという「移動する視点」を意識した配置を行っているんだろうと感じた(しかも、平安初期にね)。こっそり観察していると、良く出来たシークエンス(動的風景とでも言うのかな?)な景観は、1200年前のレイアウト担当者が意図した通りにある一定の場所で参拝客を立ち止まらせるから笑っちゃう。老若男女問わずみんな一ヶ所で立ち止まるんだもん...スバラシイ!の一言である。
(あ、もちろん華奢な世界最小の五重塔も150cmぐらいで純情な感じの女子高生っぽくて可愛いです)

五重塔を過ぎ、そこは国天然記念物にも指定されている「室生山暖地性シダ群落」を通り抜けると、奥ノ院への急峻な石段が始まる。その数386段。雨に濡れた砂岩の階段はかなり滑りやすく、また少し荒れていて注意が必要。

『どうしてお寺とか神社ってこんなに急で長い階段があるのかな?』

買ったばかりのキラキラジュエリーアンクレットが付いたロングブーツを履いてるので歩きにくくて少し閉口気味のAzuの問い掛けにともちゃんが答える。

『そりゃ、やっぱりいっぱい良い空気を吸えるようにじゃない?』

最初はその意味するところが解らなかったけど、しばらくして彼女の言葉の意味を理解して、ナルホド!と目からウロコな僕。彼女の説はこうだ。

つまり...神社仏閣にお参りする人はみんな何かしら救いとか希望とか癒しとかを期待して来ている。そして実際に何らかの目に見える効果があるからこそ、こうして長くお参りが絶えないだろう。
じゃ、何でそんな不思議な効果が現れるかと言えば、清冽な自然に抱かれることによる癒し効果...中でも森のフィトンチッド(phyton-cide)や渓流のマイナスイオン(マイナスの電気を帯びた酸素と空気中の微少な水が結合したもの...但し効果についてはまだ証明されてない)を多く含んだ空気を大量に摂取することも少なからず影響してるのではないか?そしてその“癒しの空気”をさらに身体に多く取り入れるために急な階段や長い参道があるのだ!...ともちゃん説はそういう意味なんだけども、遠からず当りなんだろうなと思うのだ。


奥ノ院へ進むと霧が出てきた

ま、そんなワケで深い霧の中を奥ノ院まで進み、帰りはあちこちに寄り道しながら室生寺散策を楽しんだ後、名物・よもぎ餅をつまみながら室生川上流に800mほど行った場所にある龍穴神社へ。
さほど広くはない小さな神社なんだけど、『イイとこの子供は見れば判るみたいにこの神社もなんだかすごく格式を感じるわねぇ。』...ともちゃんの言葉なんだけど、それもそもはず、実は今じゃ室生寺がメジャーな観光スポットだけど、実は歴史はこの神社の方が古く、その昔はこっちがメインで室生寺はかつて龍王寺とも呼ばれたことからも判るようにサブだったらしい(笑)。


少しだけ紅葉が始まった室生寺山門前

名物・草もち(よもぎ餅)を買い求める

ここを起点に山に入ると “さんずい”に竜...つまり滝と実際に龍穴と呼ばれる洞窟があり、さらに進むと我が家にはお馴染みの「天岩戸」もあるらしい...けど、今日は軽装(Azuなんてオシャレなジュエリー付のロングブーツ!)だし雨で足元が滑りやすいので参拝は断念し、帰宅することに。室生寺からの帰り道はiPodでお気に入りの音楽を流しながら大合唱大会(笑)。でもラップになっちゃうと歌詞が覚えきれてない大人は沈黙...Maakunの独壇場(笑)


偶然の手ブレで絵画のような写真が撮れた(加工一切なし)

夢のあるポスター(でも怪しげ)


お気に入りの曲を何曲か歌った後は地震の話題で持ちきり。
そんな時、突然Mamaが『わぁ〜!』と大声を上げる。な、なんなんだ!?
『じ、地震、地震守護ぉ〜!』何が起こったのかと思えば、絶妙のタイミングで車窓から地震除の神社の看板が見えたとのこと。クルマをUターンさせて看板の案内の通りに進むと、ホントにありました「地震守護 大村神社」。


本殿

日暮れが迫ってあたりはもう暗くなり始めてたけど、『地震について話してるその瞬間に看板が目に入るなんて“何か”あるわよ。お参りしましょ!』好奇心旺盛な我が家は当然のように暗い鎮守の森に足を踏み入れて参拝することに決める。

人気のない長い参道、灯りの点された灯篭に誘われるように森の中の階段を一段一段上がり、5分ほどで本殿に到着。門構えからは想像できないほど広い境内、まるで門前町のようにずらりと立ち並ぶ建物...かなりの格式を感じさせる神社である。

絵馬の奉納やお守りを求めたくて灯りが点っている建物で呼び鈴を鳴らすと、神官の女性が現れて拝殿の脇にある“要石”や“水掛鯰(なまず)” など神社の由来をイロイロと説明して下さる。。

珍しい北向きの拝殿(地震守護で有名な鹿嶋神宮と同じ向き!)で賽銭を投げ入れてお参りを済ませると賽銭箱の脇にずらりと並ぶ絵馬が目に入る。
暗がりで目を凝らしてみると全ての絵馬に描かれているのは「ナマズ」。やはりここは地震除の神様なのだ。

実はこの“ナマズ”は我が家にとってちょっと特別な存在。...というのも、Mamaの実家の家訓に『ナマズを食すべからず』という件(くだり)があるのだ。明治時代にMamaの実家で発見された古文書(漢文)によれば『源平の合戦に敗れた先祖が熊本の●●●城(これがMamaの旧姓)に落延びる際、敵に捕まる寸前ナマズによって救われた。』とのこと。僕がその古文書を専門家に読み下してもらったらそういうことが書かれてあったので、この古文書の歴史的な真偽のほどはともかく、たぶん地震か何かが彼女のご先祖様に有利に作用したといった事実はあるんだろうと思う。


宝殿(天正15年-1587-創建 国重文)

要石の隣には水掛けナマズ

ま、何しろ、「ルーツ」が流行った頃に一族で調べ上げた事実とその古文書が一致する部分が多いこともあって、今やナマズは彼女の実家の守神的な存在なわけ(笑)。そんな彼女は意外な場所で“守り神”のナマズ君に出会って大感激。
『きっとナマズ君がワタシを呼んでたのよね!』
...だから寄り道は楽しいのである。

で、絵馬には何て書いたって?僕やMamaやAzuは『大きな地震が起きませんように。もし起きても大きな被害が発生しませんように。』みたいな、叶いそうで絶対叶わない願いだったんだけども、最後に書いたMaakunの短い言葉がちょっと胸に染みた。

『地震が起きる時、どうぞ家族4人が揃っていますように。』

新潟中越地震報道で勉強したな、コイツ。

 

 

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