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FLAME LAYOUT

 

 

 

[Part.1 Osaka-Yakushima] [Part.3Inaka Beach&Miyanoura river] [Part.4 Tujunkyo&Takachiho]

 

 

August.2004 part.2

 

 

 

8月3-9日 屋久島&九州ツアー 

 


種子島から昇る太陽(「まんまる」中庭より望む)

3日目 白谷雲水峡トレッキング

前夜、早めに眠りについたせいなのか、それともワクワク感のせいなのか、5:00には目が覚める。部屋のカーテンを開けると眼前に広がる太平洋。水平線のようにも見えるのはのっぺりと低い種子島の島影。今まさに日の出を迎えようとする瞬間だ。オーシャンビューとかオーシャンフロントとかのレベルじゃなく、窓一面が海と空。素晴らしい光景である。

今日は屋久島でもメインイベントとも言える「白谷雲水峡トレッキング」の日。屋久島といえば縄文杉を連想するほどメジャーな縄文杉をあえて外して、リピーターに評判の高い白谷雲水峡でのトレッキングを選んだ僕らだ。
その理由は、縄文杉へ至る山道のほとんどがトロッコ道で山歩きの愉しみの要素に乏しいということを耳にしたこと。普段から山歩きや川歩きに親しんでる僕らにとって22km・10時間オーバーの縄文杉への道のりは決して不可能ではないけど、何にでも興味を持ちトロッコ道というだけでワクワクしちゃう僕やMaakunはともかく、木々や鳥や虫などとの出会いを楽しみにしてるMamaやAzuにはひたすら歩くってのは楽しくないのかな?と考えたのだ。特にAzuは身が軽いこともあり他の家族がヘロヘロの時でも♪ランラランララ〜ンと鼻唄混じり歩き続けるほどで、もしかしたら我が家で一番体力があるのは他ならぬAzuなのかもしれないけど、車体が軽くてエンジンの馬力があってもEFIのロムに少し問題があり気まぐれでエンジン停止することがしばしばある(笑)。少しでも“つまんな〜い”という異常信号が脳に入ると即“疲れた、歩けない”という指令が全身に回る。そうなると修理不能、以後は Maakun&Mamaの叱責を浴びてシクシク号泣するAzuを僕が“励まし大作戦”で騙し騙し歩かせるという阿鼻叫喚、地獄の山行になっちゃうんである。

まんまるには可愛い子猫がいて心なごむ

最後まで縄文杉に拘ってたMaakunだったけど、某サイトで縄文杉への山道で中高年ハイカーが列をなしてることを知ると意外にあっさりと諦めてくれた。そんなわけで我が家のトレッキングは白谷雲水峡に決定した次第。

ガイドブックや地図で見る限り、“ハイキング以上トレッキング未満”な感じの白谷雲水峡。地形図やGPSも用意したし家族だけで山に入ってもノープロブレムだとは思うけど、去年の西表島でガイドツアーの素晴らしさに感激した僕らは、今回もガイドをお願いすることにする。道案内ではなく真の意味での「ガイド」。僕らはクライマーではないので、目的は山を踏破することではなく、山を味わうこと。ただ“雲水峡を歩いて太鼓岩まで行きました”ではなく、雲水峡で何を見て何を感じたのかが重要なのである。
一見、紀伊半島の自然林と大差がないようにも思える屋久島の森。自分たちだけでは『きれいだったね〜!でもうちの裏山と似てたね〜!』だけで終わる公算が大。そこで森を知り尽くしたガイドさんの登場を願うことになったわけだ。

数あるガイド会社の中で僕ら(...というかMaakun)が選んだのは“グリーンマウンテン屋久島(GMY)”代表のアラタさん。屋久島・宮之浦中学出身のバリバリのヤクシマン(笑)で、しかも登山経験も豊富、しかも“樹木医”でもあるということで、子供の頃から遊んだ野山川を熟知した彼のウンチクたっぷりのガイディングが期待できそうだ。(平成10年白谷雲水峡地区で、樹齢3000年以上と推定される巨大屋久杉を発見し「東竜杉」と命名した方でもある。あ、それとメールアドレスがkappaなのにもちょっとシンパシー感じます...笑)


白谷雲水峡入口

8:00、宿まで来てくださったアラタさんのクルマに乗り込んで、白谷雲水峡へ。
クルマに乗った瞬間から始まる屋久島に関する解説は、ガイドブックやネットには書いてない独自のもの。セカンドシートのMaakunはすぐに質問攻め体制に入る。島津藩直轄地の頃の手厚い保護、明治政府になってからの乱伐、そしてようやく始まった近年の保護活動...外部の環境保護団体ではなく住民の視点から保護と開発(=生活)をバランスよく語るアラタさん。車中で聴く屋久島の森の歴史は録音して何度も聴きたいほどの濃い内容だ。
宮之浦集落から立派過ぎる林道(しかも、まだなお拡幅工事が現在進行中。大型観光バスを通すためなのだそうだ...涙)を20分ほど走ると、これまた立派すぎる駐車場に到着。規模の差こそあれ、多くの登山客で賑わう様子は上高地を連想させる。

『へ、こんなに人が多いの?ちょっとがっかり。』
秘境を想像してたMaakunはちょっと落胆した様子だけど、気を取り直して入り口で入林協力金¥300を払って9:30標高600mをスタートに雲水歩道に足を踏み入れる。その瞬間から歩道の両側には美しい苔に覆われた岩が姿を見せる。舗装された歩道をしばらく進むと“憩いの大岩”と呼ばれる花崗岩の一枚岩。岩の上を進み飛流橋から美しい飛流の滝を一望。弥生杉歩道(*現在は通行止め)との合流点を過ぎると間もなくさつき吊橋だ(9:40)。ここで最初の休憩だが、Azuは早くもご機嫌斜め。『だって何言ってるのかわかんないんだもん!つまんな〜い!』へっ!?もう、EFIのロム不調かよっ!
それに対して、Maakunは早くもアラタさんの付き人状態。アラタさんの斜め後ろにポジションを取り、“先生”の話を一語一句聞き漏らすまいと真剣な表情である。アラタさんも彼に解りやすいように言葉を選んでレクチャーしてくれてるのが有難い。


さつき吊り橋から楠川歩道へ

『地球にはね、動物と植物と菌類の仲間がいるんだよね。植物は動物がいなくても困らないけど、菌類がいないと困っちゃう。葉っぱが落ちるでしょ?菌類がそれを分解して養分に変えてくれるわけ。それがないと落ち葉で埋まっちゃうわな。』実際に地面を杖で掘って説明してくれる。菌類から苔の話、杉の話へとレクチャーは続き、僕ら大人に対しては屋久島の森の歴史を自然科学&経済の両面から詳しく説明。さすが樹木医、ちょっと違うんだな。


くぐり杉をゆくMaakun

切り株で遊ぶ子供達

さつき吊橋で合流する楠川林道は少し急な上り坂。本格的な木の根道になる。この林道は江戸時代に男たちが山で伐採&製材した平木(屋根を葺く木製の瓦。樹脂の多い屋久島の杉平木は腐りにくく3倍長持ちするため、普通の平木の3倍以上の価格で売れたそうである。米がさほどとれない屋久島では、この平木が米に代わる年貢で、通貨代わりにも使われたとか。)を女性や元服前(12歳未満)の男子が担いで運んだ道なのだそうだ。(島津藩の奉行も歩いたことから別名・奉行歩道とも呼ばれる)くぐり杉(11:18)〜白谷小屋(11:25)を過ぎ、標高850mに立つ七本杉の見事な姿に感動したたあたり(11:30)から、俗に「もののけ姫の森」と呼ばれる森に入る。
想像を絶するような太さの切り株が次々と現れ、岩なのか切り株なのか判別が不可能なほど全てのものが美しい苔のカバーに被われている緑一色、あ、いや世界中の緑色のサンプルがここで採取できるほど多種多様な緑が一面に広がっている。ひと株ひと株、それぞれに小さな真珠のような水滴が付着し、わずかな木漏れ日を浴びて輝く様は言葉にならない美しさ...写真や言葉では伝えきれないので実際に見て下さいとしか言えないけど、想像を遥かに超えた素晴らしい森である。


もののけ姫の森に入る

これまでに感じたことがない“何か”を感じる森

 


映画「もののけ姫」のシーンとダブる

映画「もののけ姫」製作前に宮崎監督を始めとするスタジオジブリの面々がここを訪れてロケハンを繰り返したからことから最近では、通称「もののけ姫の森」とも呼ばれるそうだけど、アニメーションのセル画ではこの美しさは決して表現できはしないと思う。確かにあの映画の風景は、まさにこの森なのは確かである。映画のシーンから白谷雲水峡の場所を特定できてしまうほどに酷似しているのも確か。でも、実際にここに立った僕は、この森を「もののけ姫の森」と呼ぶのは少し抵抗を感じるのだ。


荒田さんを先頭に森をさらに奥へと進む

疲れたAzuは“苔からパワーをもらう”↑

ここを訪れる人の多くは「もののけ姫」という名前に惹かれてやって来ているのかもしれないけど、映画が公開されてまだたかだか数年。それに対し、この森は何千年、いや何万年という長きにわたってここにある。(但し、今の姿は明治維新以降の無計画な伐採の成れの果てだそうだけど。)このネーミングはどうもなぁ...僕はそう感じるのである。確かに、僕も映画「もののけ姫」を観て、そのリアルな背景に感嘆したひとりである。でも、僕はここに来て『“もののけ姫”そっくりだぁ〜!』ではない感覚を覚えた。言葉にするのは難しいけれど、得も言われぬ懐かしさとでも言うのかな?そう...懐かしい感じなのである。


切り株から見上げた空

“物の怪”なんかじゃなく、懐かしさ。初めて訪れるのに「懐かしさ」?その謎は、今回お世話になったガイドの“樹木医”アラタ氏の言葉で即座に解けた。『ここの森は標高600〜1000mですから、ちょうど大阪あたりの植生になりますね。つまり、仮に大阪が人の手が入らずに原生林が残ってたとすると、こんな風になってるということです。』DNAレベルの遠い記憶ではなく、僕が子供の頃にこの眼で見てたから懐かしかったのかぁ!納得なのである。


ここまで来ると人はまばら

辻峠から下りになる

輝く苔の絨毯と赤く浮き出すヒメシャラの大木を楽しみながらさらに進むと、間もなく辻峠に達する(12:15)。ここは宮之浦川と安房川の分水嶺。標高970m。400mもの標高差があったなんて思えないほどにあっけなく到着だ。正午を少しまわっているので、そろそろ昼食にすることにする。沢沿いに少し下ると巨大な岩が倒れ、岩屋を形作っている場所に着く。ここがランチポイントだ(12:25)。


ランチポイントの岩屋に到着

避難小屋にも利用される岩屋

岩屋の窓から差し込む光はMoss green?

 ランチを作る荒田さんを興味深げに見つめる子供達

ザックを下ろし昼食を作り始めるアラタさんを横目に子供たちは岩屋に入ったり登ったりしてひと遊び。『じゃぁ、お兄ちゃんは僕と一緒に水を汲みに行こうか!』普段なら『いやや、遊びたいもん!』と即座に拒否する彼も、もうすっかり“弟子1号”と化しているのでアラタさんに素直に従う(笑)。アラタさんのそばに座ってニコニコ笑いながらランチの準備を見守る姿は本当に微笑ましい感じだ。

今日のランチは炊き込みご飯とスパゲッティ・カルボナーラ、そしてワカメスープ。山屋さんらしくMSRに小ぶりのコッフェルを架けて手際よく作られた料理はホントに美味しい。


『今日のご飯は何かな?』『なんだろう???』

岩屋前での昼食を楽しんだ後は、辻峠にザックを置いて(14:07)さらに上を目指す。正規のルートではなくショートカットして進んだので、まるで藪漕ぎ(笑)。立ち木に掴まらないと登れない道なき道を行くこと20分、目の前がスッと明るくなったと思ったら、いきなり眼前に広がる絶景!太鼓岩に到着だ。標高1080mの太鼓岩からは安房川流域に広がる小杉谷が一望。目線と同じ高さをかなりのスピードで雲が流れ、ポツリポツリと真っ白に枯れた大きな杉が点在する。絶景である。高所恐怖症の僕だけど、大台ケ原の大蛇ぐら伊勢山上の蟻の戸渡りに比べると怖くはなかった。

トウモロコシではありません
辻峠からさらに登る
サルスベリでサル滑る


太鼓岩に到着(標高1050m)

しばらく太鼓岩で過ごした後、岩の上で出会った岐阜のオネエチャンたちと連れ立って、再び道なき道を下って辻峠に戻る。木のそばに置いておいたザックを背負い、ここから往路を辿るように下山を開始する。山道と言うのは不思議と往路と復路ではまるで違う感じに見える。これが道に迷う原因のひとつでもあるけれど、森全体が霧に包まれていた午前中とは違って午後は木漏れ日が射す明るい雰囲気。ただそれだけで同じ角度で眺めても森の印象は全然違ったものになるから不思議だ。


安房川と小杉谷渓谷をバックに

再び森の中を歩く

木漏れ日を浴びるとさらに美しい

全ての緑色がここにある

加えて午前中は不機嫌だったAzuもお腹がいっぱいになると急にゴキゲンないつものAzuに戻り、ランラランララ〜ン♪と鼻唄交じりで歩みを進めてゆく(現金な奴!)。やっぱり我が家一番の元気者はAzuなのである。
「もののけ姫の森」で休憩を入れて、黄緑に光る苔の美しさに再び感動しつつ、楠川歩道からさつき吊橋へ。体力的にも余裕があったので、吊橋を渡ったところから原生林歩道に折れて二代大杉を観に行くことにする。渓流を渡ってほんの数分で樹高32m、胸高周囲4.4mの異形の杉・ニ代大杉に到着。大杉の前に座ってお昼の炊き込みご飯のおにぎりをパクつくAzu。ココまで来てAzuの独壇場と化すのだ(笑)。
しばらく休憩をした後、再びさつき吊橋へ。ここからは雲水歩道を通って登山口へと戻る僕ら。約6km、休憩も含めて7時間半。アラタさんから予め聞いていた通りのお手軽トレッキング。
変化に富んだ美しい自然に目を奪われ、これだけ長時間歩いたとは思えないというのが正直なところだ。


まるでイスのような切り株

ニ代大杉

飛流おとし

『さて、川でひと泳ぎしましょうか!』アラタさんのクルマに乗り込んで、白谷雲水峡を後にした僕らは、山を下り宮之浦川の河原へと向う。川に着くなり靴をビーサンに履き替え、トレッキングの服装のままドボン!と川に飛込んで気持ち良さげに泳ぐアラタさん。でも、長ズボンにトレッキングシューズのいでたちで水着もナンも持参していない僕ら。泳ぎは明日の楽しみにすることにして、そのまま宿に戻ることにする。

白谷雲水峡の生き物と苔の風景


屋久島の夜遊びと言えば...

宿に着いてアラタさんと別れた僕らは、すぐにお風呂に入る。一日歩き回って疲れた身体。夕暮れの大平洋を眺めながら湯舟に浸かると、さすがに疲れが出て夕食を食べ終わるとすぐに眠りについたのだった...ってのはウソ!(笑)。
『さぁ、出発だぁ!』急いで夕食を食べた僕らは、ekワゴンに乗って夜遊びに出かける。屋久島の夜遊びといえば...当然ながらウミガメ観察。8月初旬はちょうど孵化の時期にあたり、運が良ければ浜のあちこちからコガメが卵から孵って、浜を一目散に海へ向う姿が見られるのである。

あれは1991年、新婚さんいらっしゃ〜い!だった僕とMama(当時はまだMamaではないけど...)は、熊野の大花火大会を見終わって、いつもの大泊海水浴場にあるキャンプエリアでキャンプをしていた。(花火の夜だから8/17だな。)今と違って大泊でキャンプしてるのは僕らの他に数グループだけ。皆が寝静まった時間帯、寝付かれない僕らは砂浜に置いたチェアに座って談笑していた。
そんな時、足元にゴサゴソうごめく感覚が!何だろう?フナムシかな?とヘッドランプを向けると...おおっ!ウミガメだぁ!何と、浜全体でウミガメの孵化が始まってしまったのだ。周囲をライトで照らすと、何十ではなく、何百単位の子ガメがワサワサと一斉に僕らの方に向って来るのが見える。な、何で!?匂いか?それともアヒルみたいに僕らを親と間違えてるのか?今と違ってウミガメの知識を何一つ持ち合わせてない僕とMamaはパニック。『光だ!光に向ってるんだ!早くランタンを消せ!』コールマンのランタンの真下に折り重なるように集まる子ガメたちの姿でハッと気付いた僕は、すぐにランタンを消す。ところがその瞬間、カメたちは目標を失いてんでバラバラの方向に進み始めるではないか!中には僕らの元に来るだけで体力を使い果たし裏返しになったままもがいてるカメもいて、責任を感じた僕は再び点したランタンを手に水際へ向う。すると予想通り、子ガメたちは進む方向を変えてウジャウジャと海、つまり僕に向い始める。自分に向って必死で歩む数百の命...これは経験したことがないと解らないだろうけど、カメの親になったような気持ちっていうのかな?心から暖かなモノに包まれたような気持ちになるのである。で、僕は浜にいる全ての子ガメが波にさらわれるまでの2時間、一匹一匹に頑張れよ!生き残れよ!などと声を掛けながら膝まで海に入ってランタンを掲げて立ち尽くすことになったのだった(笑)。ヘッドランプで浜を隅々までチェックして窪地に落ちてもがいてる奴を海に還し、ちょっと興奮状態のままシュラフにもぐり込んだのは3時間後。孵化に手を貸したのはもしかしてイケナイことだったのだろうか?いや、ランタンを点して惑わせたせめてものお詫びだ、などと自問自答しながらウトウトし始めた頃、今度は自分の背中にガサゴソ感。ま、まさか!?そのまさかが起きた。テントの下でまたまた孵化が始まったのである。で、すぐにテントを移動し、眠い目をこすってランタンを持って海の中でさらに一時間...ウミガメ保護に尽力してる方々からすれば、産卵地の真上にキャンプ場があるなんて信じ難く許し難い暴挙なんだろうけど、その当時はウミガメを保護するという概念が僕にはなかった(資料によれば1991年は熊野灘でここ十年で最も子ガメの孵化数が多かった年だったみたいだ)。

ウミガメの孵化観察(誘導しているのはAzu)
必死で海を目指す

さて話が逸れてしまったけど、そんな体験の翌年に生まれたMaakunとAzuを連れて、約40km離れた永田いなか浜へと向う。夜間の県道は当たり前だけど野生の生き物たちが頻繁に横切るので注意が必要。でも宮之浦のまさに街の真ん中でバス停の横を平然と歩いてるヤクシカを見つけた時はさすがにびっくり!だった。
21:30いなか浜に到着。うみがめ館に立ち寄る。今夜も巣穴から脱出できなかった子ガメが保護されていて、その放流が行われるということで手続きを済ませ駐車場でその時を待つことにする。レクチャーを受けた後、一切のライトを消してボランティアスタッフの先導で浜へ下り、保護した子ガメを海に戻す。まずはMaakunが参加者の代表に選ばれて微弱なペンライトで5匹の子ガメを海に導く。続いてさらに保護された2匹の子ガメをAzuが...そんな中、非常に残念だったのはスタッフがあれほどしつこくレクチャーしたにもかかわらず、強いランプで子ガメを照らした僕と同年代の男がいたこと。さらにスゴかったのはカメラ付き携帯のライトを煌々と子ガメに向けて動画を撮影してた女。『フラッシュは止めて下さい。』というスタッフの言葉に『これはフラッシュではありません。ライトです。』と言い放つ、その感覚には畏れ入った。久々に本物のバカモノに会って、思わず『アホか。』と呟いてしまった大人になり切れない僕だった。
MaakunとAzuが膝まで海に入って短パンをびしょ濡れにして誘導した甲斐あって、合計7匹の子ガメは波に洗われて海に消えた。生存率は1/5000。自力で海に辿り着くことさえ出来なかったあの劣等生の7匹が生き残れる確率は限りなくゼロに近いのかもしれない。でも、本来ならば確実に死ぬはずが人の手を借りて海に戻れたその強運も捨てたものではないはず。またいつか熊野で会おう!そんなことを思いつつ、見学会は終わった。

今夜の夜遊びのメインはウミガメの孵化観察なんだけど、でも、実は一番深く感動したのは星空!ウミガメ保護のために極力人工の光を排除したいなか浜(暗闇の中に光りは2つしか見えない)で、僕らが観たもの...それは天の川、しかも全てが小さな星で構成されていることもはっきりと視認できるのだ。当然、僕の38年の人生で最高最良の星空。これよりスゴイのはハッブル宇宙望遠鏡ぐらい...大袈裟でなくそう感じた。そして、今更ながら星は無数にあることを思い知らされたのだった。これだけあれば、きっとどこかに知的生命体はいるだろうな、と確信した。

 

 旅人の宿まんまる8:10………9:10白谷広場9:15……雲水歩道……9:40さつき吊橋……楠川歩道……
……11:18くぐり杉………11:20白谷小屋………11:35七本杉………11:45もののけ姫モデルの森
……12:20辻峠………12:25岩屋(昼食)14:00………14:07辻峠………14:23太鼓岩14:40………15:00辻峠
……16:19さつき吊橋………16:25岩二代杉………16:42白谷広場………18:00まんまる(風呂・夕食)

まんまる20:05………21:00うみがめ館(ウミガメ放流見学)21:50………23:00まんまる(泊)

 


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