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Photo Essay Vol.10

 

焚き火のそばで語り合う。僕にとってキャンプ最大の楽しみです。夜も更けて、焚き火のそばでバーボンでもやりながら語る話は妙に説得力があって....。討論するわけでもなく、沈黙が数十分にもおよぶことがあるのに白けてるわけでもない。ゆらぐ炎をぼんやり眺めながら聞く友人の話、誰に語ってるわけでもない自分の話。あれってもしかしたら独り言なんじゃないか。誰かに聞いてほしいっていう、そんな話じゃないですからね。聞いてるほうも、聞いてるよな、聞いてないよな、でも強く記憶に残ってる。僕のひとりごとのようなお話、聞きながらゆっくりとお酒でも飲んでて下さい。

第1回目のテーマは自然保護。あ、堅い話題だからって次のページに飛ばないで!僕がこの「Welcome to our campsite!」を始めた一番の理由なんだから。

 

 

自然保護

「どうして君は他人にカヌーを勧めるんだ?君みたいなのがいるからカヌーがミーハーな遊びになってしまうんだ。だいたいカヌー人口が増えたら、フィールドが混むし、馬鹿な素人がゴミを捨てていったりして地元とトラブル起こすし、何一ついいことないじゃないか!」そんなメールを頂いたことがあります。
「そりゃどうも、ゴメンナサイ!」って返事しましたけど、内心「そんなこと言ってるから道具は高いし、カヌー屋さんはつぶれるんだ。」って思いました。確かに僕のページはカヌー礼賛です。「カヌーって面白いから、みなさんもどうですか?」っていうコンセプトです。僕のページを見た人がカヌーを始めるきっかけにでもなればって心から期待してます。(ただ、そんな影響力はないですけど)カヌー人口の増加に少しでも寄与できたらこんな嬉しいことはありません。
でも、どうしてカヌー人口を増やしたいのか?道具が安くなるから?YES. アメリカで$850のカヌーが日本で26万円する理由は確かにここに理由があります。インポーターやショップが儲けてるわけじゃないんです。それが証拠に潰れたり、カヌー販売から撤退する会社が多いじゃないですか。大人気のはずのOld Townでさえ、今年のカタログはすごく貧弱になっちゃった。(スキューバ・プロさん、もし経費節減以外の意図があったらゴメンナサイ)

でも僕がカヌー人口を増やしたい理由は、もっと他にあります。そう、「川を守りたい。」ってのが本当の目的なんです。もちろん川だけじゃなくて、森も海も含めた自然を守りたい。そして息子や孫にも守るべき自然を残したい、そう思ったからなんです。はっきり言って自分はもういいです。超ド田舎に生まれて、家の前の小川の水が飲めた。アマゴの手づかみしたり、イノシシ猟に連れて行ってもらったりと恵まれた自然環境で育ったし、少年期はボーイスカウトでキャンプ三昧。大人になってからも毎日子供みたいにキャンプのことばかり考えてる。だけど、息子って今の汚れた川しか知らない(長良川だって、宮川だって僕の思い描く「清流」とは程遠い。)。そして孫ともなると健康を害するからって、川で遊べなくなるかも知れない。いや、このままでいくと、きっとそうなる。そう感じます。

それなら川を守るために僕ができることはなんでしょう。環境保護運動?YES これも大切。だけど、視察団のバスの前に寝転んで阻止しようとしたり、ハンガーストしたりっていう運動ってきっと長くは続かないと思うんですよ(でも、もし自分がその場にいたら同じことをしない自信はないです。彼らの気持ちは痛いほど解るから。)環境保護運動って細く長く、つまりゆるやかかつ粘り強く、何世代にも亘って続けてこそ意味を成すんじゃないかって。お上だって今は何一つ気付いてないです、確かに。だって霞ヶ関から一歩も外に出ないで物事考えてますもん。手に取るように分ります。「この人たちって自然と触れあったことがないんだなあ。」って。自分が人間という飯も喰えばクソもする(失礼!)動物の一種だってことさえ忘れてる。そんな気がします。知らないんじゃ仕方ありませんよね。だからお上ばかり悪く言うのって間違いだと思うんですよ。誰かが言ってましたよね。「官僚のレベルは国民の民度に比例する。」って。官僚だって国民なわけで、彼らばかり責めるのってマゾですよ。自分虐めてるのと同じだから。

実は僕だって今ほどの問題意識を持ったのは最近です。そう、息子とカヌーに行くようになってからかな。息子や孫の時代のこと考えるようになってから、合成洗剤を天然せっけんに変えたり、乾電池を全て充電タイプに替えて、Mont-bellのソーラーチャ−ジャーで充電するようにしたりしました。もちろん通勤もクルマからMTBに変えたし。前に書いたように、ゆるやかな変化です。急に今日から電気使うのやめてロウソクにするとか、クルマを売って家族4人で800km歩いて里帰りするとか、そんなことを少数でやるより大勢が少しづつ、無理の無い程度に心掛けた方が効果は大きいと思います。
でもね、何を守るのか?つまり川(自然)の素晴しさを知ってないと、こんな努力も「我慢」でしかないんですよ。もしカヌーで下ったことのある川が自然の摂理を無視した方法で開発されると知ったら、だれもが反対の意志を表すはず。これって絶対確かな事です。その中から何%かの人が実際に行動を起こすでしょう。その分母が大きければ大きいほど、たとえ分子が小さくても、大きなパワーになるはず。そう思います。もちろんファッションでアウトドアをする人も多いとは思います。昔からヘビーなアウトドアをやってる人の多くは昨今のアウトドア・ブームに眉をひそめていることでしょう。自分達の聖域が侵されるって感じるかもしれません。初心者は無知からいろいろ失敗したり、常識外れなこともするとは思います。でも、そこでベテランの人が助けてあげたり忠告してあげたりすべきじゃないですか?眉をひそめて陰口言ってる場合じゃないと思いませんか?ベテランだって山岳部、ワンゲル、ボーイスカウト、探検部の新入生の時は先輩の鉄拳浴びて覚えたじゃないですか。

グリムだかイソップだかの童話に「風と太陽」ってのがありますよね。そう、旅人のコートを脱がせるやつです。あれなんですよ。視察団のバスの前に寝転んで阻止しようとしたり、ハンガーストしたりっていうやりかたが風だとしたら、カヌーの楽しさを広めてそのフィールドである川に対する愛着を自然なカタチで感じてもらうってのが太陽じゃないかな。(風が必要なタイミングがあることはよーく分ってます。)もちろんその過程にはいろいろなマイナス要因も出て来るとは思いますけど。自然に分け入ること、そのためにクルマに乗ること・・どちらも自然に少なからず確実に悪影響を及ぼすからね。でも、そのことで息子たちに自然を愛するココロが少しでも芽生えてくれたら。息子たちが僕らの世代にはなし得ないだろう「自然との共存」を達成するための一員になってくれたら。僕らさえしっかりした考えを持ってたら、もしかしたら大丈夫じゃないかな?そんな期待をいだきつつ、今日も「カヌー・エバンジェリスト」はホームページの更新をするのでありました。

 



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