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Photo Essay Vol.1  

   
Canoeing is our family life...

「人生とは航海のようなものです。」
友人の結婚式。天井まで届きそうなウエディングケーキ。その隣で初老の男性がスピーチを始める。
「ほら始まった!『二人の人生は穏やかな時ばかりではありません。嵐の日もあるでしょう。』って続くんだよな。」夫は小声で妻にささやいた。
「ええ、『そんな時もふたり力を合わせて人生の荒波を乗越えていって下さい。』で終わるのよ。」妻が含み笑いをしながら頷く。 
ある春の日。とあるカヌースクール。
「右だー!右!」「さっきから漕いでるわよ。」「ばか!それは左だ。右!右」「バカバカってなによ!」「バカだからバカって言ってるんだ、バカ!」
「ぶつかるー!」「キャーッ!」  ドッボーン!

『ふたりの関係をもっと親密にしたいなら、カヌーがおすすめ。川面をわたる、さわやかな風に吹かれ力を合わせてパドルを漕げば、彼女の心も解き放たれて...』
『ファミリーならカナディアンカヌーでキマリ!シングルパドルを巧みに操って急流を行けば ”パパってすごいや!”って言われることうけあい...』......雑誌には確かそう書いてあった。

「エーン、つめたいよー。」
「さすが3月だ。やっぱり水は冷たいや。ハハハ...」
「感心してる場合じゃないでしょ!そのロープ持って早く泳ぎなさいよ!」

「大丈夫ですか?」「ハハハ、平気ですよ。ヘーキ。おーつめて。」
「つめたいよー、エーン、エーン。」

テレ笑いを浮かべ呆然と流れて行く夫。1才の息子を抱え、夫に的確な指示を与える妻。父にではなくスクールのコーチに助けを求め、ひたすら泣く息子。

『恋人と別れたくなったら、ふたりでカヌーにお乗りなさい。』アメリカにそんな格言があるなんてこと、夫はその時は知らなかった。

 


 

3年後。
家族のカヌーが早瀬を下ってゆく。夫のシングルプレードパドルは波頭を確実にとらえる。隠れ岩をサイドスリップでかわし、落ち込みに傾いたフネを水面をパドルで押さえ付けるようにして支える。バウ(船首)に膝立ちした妻はカヌーの動きから夫の意志を汲み取って水面にパドルを突き刺すように舵を取る。子供達は波の飛沫を洛びながらもフネの傾きに応じて細かな体重移動を行い、カヌーはそれそのものがあたかも一個の生命体のように躍動する・・・。
あの沈(転覆)から、夫はひたすら漕いだ。家族で、そしてひとりで、ただひたすら漕いだ。毎週末には川に出掛け、夏は仕事を終えてから、近所の野池で日没まで漕いだ。そして、夫は、ある日三才になった息子が友達にこう話しているのを聞く。「うちのパパはカヌーがうまいんだぜ。」彼は小さな胸を張って、本当に自慢げに言った。

 


 

「人生は航海のようなもの、か。使い古された言葉だけど、いい言葉だよね。」
あんなに喧嘩ばかりして、そのうえ真っすぐに進むことさえできなかったカヌー。穏やかな水面と荒々しい瀬が交互に現れ、何度も沈しながらヨタヨタヨロヨロと流されるうち、何となくお互いの心がひとつになったと思える瞬間がやって来る。
「でもね、『あっ、カヌーつてたのしいな。』って思えるのって、ひとりで操れるようになった時だよね。初めてのひとだって、ふたりで漕げばとりあえずは真っすぐ進むんだけど、お互いの推進力を打ち消しあってちっとも速くない。」「そうそう。上手なひとがひとりで漕ぐほうがよっぽど速いもの。」「だけど、ひとりだと長くは続かない。実力があって息の合うふたりだといっまでも疲れないし、フネが重くなって安定するんだよな。」
人生も同じ。お互いに自立したふたりが一緒に暮らしてこそ意味がある。ひとりだとすぐに跳ね飛ばされてしまう瀬も、ふたりの重いフネなら波を押し潰して乗り越えられる。もし恐怖に身が竦んでもパドルを両側に出して、しっかり水面をおさえつければ沈することもない。人生もカヌーのようでありたい。夫は柄にもなく心からそう思った。
「ふたりなら、なんとなく心強いしね。」
「ふたりじゃないわよ。」そう言って、妻は視線を移した。
息子が、そして娘が慣れないナイフとフォークで伊勢エビと格闘中だ。
「人生は航海のようなものです。ふたりの前にひろがる海は穏やかな時ばかりではありません。荒れ狂う嵐の日もあるでしょう。そんなときもふたり手を携え、力を合わせて人生の荒波を漕ぎ抜いてください。」初老の男性はそう言って、白いハンカチで額の汗を拭った。

妻と夫は顔を見合わせて微笑んだ。

[CANEWS]1996 akihikom

 

 

 
 

 

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